#25 毎日note投稿の効果
今月に入って、一日も欠かさずnoteに投稿している。
理由は簡単である。毎日考えているいろんなことを、憶えていられないからだ。
一日中ありとあらゆる思考が巡っていても、書き留めようと思わなければ、なにひとつ残らない。
たとえば、ある思考が上から降りてきたとして、それは目の前をすぅーっと通って、下に落ちていく。
最近ちょっと怖くなっていたことは、私の周りでその考えていることが、ほわほわと漂う時間がなくなっていること。
だから、目の前を通り過ぎる前にペンと紙を用意して書き留めなければ、『せっかくだったけど、もうさっぱり思い出せない』ということになってしまう。
現に、数秒前に考えていたことが、もう思い出せないことがよくあるのだ。
こんな風になってしまったことに、我ながら愕然とする・・・
記憶の筋肉が緩んでいるとしか思えない。
数日前の私のnoteに、『諦め』という言葉を使った投稿がある。(どこに書いたか見つけてくださる方があったらコメントください!記事にサポートに行きます!😃
その文章を書いていて、『諦め』じゃなくて、二文字で似たような気持ちを表す、ほら、あの言葉・・・と、何度も何度も考えたけれど、どうしても浮かばない。
たまたま開いた同義語のサイトで、『放棄』とか『断念』という言葉を出され、「ちゃうねん、ちゃうねん」と首を振るのだが、もっと気の効いた言葉のオファーはない。
結局、その夜は『諦め』のまま投稿して寝た。
翌朝、目覚めとともに、どこからか、『妥協』という言葉が降ってくる。
不意打ちでびっくりしたけど、そうそれそれ! 最適だったかは別として、私が探していたのはそれだったので、慌てて書き留めた。
『いや、もう忘れないし‥‥』と思う自分ほどあてにならないものはない。
もうひとつ、びっくりしたことがあった。
旧約聖書に出てくる知恵の優れた王様で知られた『ソロモン』という名前を書こうとして、あろうことか、『モ』の字が出てこなかった。
カタカナ一文字が15秒ほども思い出せないという経験は今までになかったので、これも驚いた。
《これを読んで、「それは異常だ」と思われた方、どうか知らせてほしいです》
私があまりにも一度見た映画の内容を憶えていなかったり、ボケたことを言うので、子どもたちは、(日本の)ばあちゃんより、かあちゃんのほうが危ないと心配する。
「かあちゃんもばあちゃんみたいにSudokuをしなよ~」
といつも言う。
私もあれを楽しいと思えるのならやっていただろう。だけど数字には心底興味が湧かない、悲しいほどに・・・
そういえば、noteを初めて書いた日の翌日にこんなことがあった。
こんな『想い』が降りてきたのは、自分の中にあるものをアウトプットすることで、思考に循環というか、新陳代謝が起きてきたのではないかと思う。
だから私はnoteを続けようと決めている。
連日投稿のバッジはとっても励みになる。
とはいえ、私の場合、あまりモチベーションの素にしてしまうとしっぺ返しを食らう。投稿時刻に差があると、イギリスとの時差によって日をまたいでしまうこともあり、「連続投稿すばらしい」の通知が不意に途切れるからだ。
モチベーションは何といっても、私の文章を誰かが読んでくださること。それが嬉しく、さらに共感くださったらもっと嬉しいと思う。
毎日noteに想いを綴るという、蝶の羽ばたきのようなことから発生する、バタフライ効果を見るまでは、呆けてしまうわけにはいかないのだ。