【小説】奔波の先に~井上馨と伊藤博文~#162
28 条約改正への道(1)
「そういえば、謹助はいつまで東京に居るんじゃ」
博文がふっと、何の気無しに口にしていた。
「20日までだった」
「聞多もおるし、たしか勝もおったはずじゃな」
「俊輔、何をブツブツと独り言を言っとるんじゃ」
馨は不思議そうに声をかけた。
「ふん、君たちは気が付かないようだから、言ってやる。わしら密航から20年じゃよ。正式には去年だったのじゃが。これは僕が洋行しとったから問題なかろう」
博文は胸を張って威張りながら続けた。
「山尾は東京を離れる仕事はやっとらんし、皆が揃うこの機会を逃さんほうが良いと思うんじゃ。よし、宴席を持つことに決めた」
「そりゃええの。思い出話をするのもなぁ」
馨が賛同していた。
「僕も楽しみです。東京に出てきたかいがありますの」
遠藤謹助も当然賛成だ。
「よし、僕が手配するか。そんなに時間がないが、7日に横浜で大丈夫かの」
「俊輔、ええんか他の連中に確認しなくても」
「大丈夫じゃ。僕に任せてくれ」
そうして約束の日がやってきた。博文の指定する店に行くと、もう皆が揃っていた。
「聞多、遅いぞ」
「すまん、いろいろあっての」
「ほう、本当に皆が揃っとるな。狂介も市もおるんか」
「声をかけたら、来たいと言っていたからね」
博文は馨が席について、酒を持ったのを確認して、立ち上がった。
「やぁ、僕たちの密航から20年経ちました。せっかく皆が東京に居るので、思い出の横浜で宴席を持つことができてうれしいです。では、カンパ~イ」
博文の発声に合わせて皆で盃をあげた。
馨は勝にまず話しかけていた。
「そういえば、勝はひどい男じゃの。エミリーちゃんの純粋な恋心を弄びよって」
「あー。その話。聞多さんが作ったのではないのでは。僕にはそんな記憶本当に無いんじゃ」
「いや、ウィリアムソン先生から聞いたし、エミリーちゃんからもな。せっかくだから会いに行ったんじゃ」
「山尾くん助けてくれ。聞多さんが濡れ衣を」
「勝くん、僕はグラスゴーに居ったことをお忘れじゃないかの。幼い恋についてはよくわからんし」
「え~俊輔さん。助けてください」
「僕は何も知らんしの。助けようもないじゃろ」
「僕もずっと一緒だったわけでないしの」
謹助も笑っていた。
「山縣さんも山田さんも密航仲間の絆なんてこんなものなんですよ」
「聞多さんに、持っていかれたことじゃ。諦めるしか無いの」
「ざんねんだったの」
山縣と山田もこの様子を見て笑っていた。
「先生はお元気だったのですね」
勝が改めて馨に尋ねていた。
「あぁ、皆元気じゃったよ。そうは言っても、もう6年も前か」
「僕にとって忘れられんのは、聞多さんがもう上海で攘夷なんて無理じゃと言ったことじゃ」
勝が懐かしいような、呆れたような口調で言っていた。
「そうじゃった。僕が聞多にそげに早う変わるのはおかしいと言ったんじゃ」
「ほう、聞多さんがの。確か、御殿山に火をつけて半年ぐらいですかの」
山縣が面白いことを聞いたと言う顔をしていた。
「そうじゃ。焼き討ちから半年、横浜を出て3日。切り替えが早いじゃろ。上海でこの感激を伝えとうて、周布さんに文を書いたのが昨日のことのようじゃ」
周布の名前を聞いて皆がしんみりしていた。
「すまん、なんかしんみりさせてしもうた」
馨は慌てて、話しかけた。
「そうじゃ、山尾。おぬし何か面白い話はないか」
「ほいでは、僕のラヴロマンスでも、っと言いたいところじゃが何しろ金がなかったからの。大人しくやっとりました」
「そういえば、薩摩から金を借りとったのでは」
勝が思い出したという顔で言った。
「あぁ。たしかに、そうじゃった」
「ということは勿論」
「返してはないの。でも、もう時効じゃ」
「へぇ。そげなつながりがあったんじゃね」
山田が感心したように言っていた。
「たしかに、一足早い薩長盟約じゃったね」
勝が懐かしげに言った。そして、続けた。
「あの時、見たものが、今につながっているんじゃ。僕は鉄道じゃ」
「イングランド銀行ということになるのかな、紙幣や貨幣じゃ」
謹助が感慨深げだった。
「僕は造船だったのじゃが。学問としての造船や、耳の聞こえん子の教育もじゃな」
山尾も続けて言った。
「僕は世の中の仕組みじゃ。聞多もそうだろう」
「わしは、本当は海軍を学びに行ったのじゃが。何を持ち帰られたのかの」