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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#73

15 運命のひと(4)

 朝になっても熱が引かず頭は割れるように痛かった。いつになっても起きてこない聞多を心配して、昼頃武子が粥や握り飯を持って様子を見に来た。
「武子です。お食事をお持ちしました」
上がってくる足跡が聞こえた。慌てて枕元の書類をまとめて布団の下に入れた。声を聞いて少し熱も上がった気がした。
「失礼します」
 その声と同時に襖が開いて、武子が入ってきた。聞多は思わず寝返りをうって背中を向けていた。
「井上様、お加減はいかがですか」
そう言うと武子は手を伸ばして聞多の額に手を当てた。聞多は思わず手を払っていた。
「余計なことはせんでくれ。わしは大丈夫じゃ。出ていってくれ」
声を荒らげていた。
武子は少し驚いていたが、深呼吸をしてから言った。
「わかりました。出ていきます。もう参りません。これだけはお召し上がりください。召し上がられましたら、玄関に置いてください。受け取りに参ります」
言い終わると、武子はすっと立ち、出ていった。
 一連の動きに、聞多は何も言えず、閉められた襖を呆然と見ていた。言ってはいけないことを言ってしまった自分が情けなかった。起き上がり、武子のおいていった粥をすすった。優しい味は体と心を癒やしてくれた。これでしっかり寝られそうだ。明日は礼を言わないといけないと心に言い聞かせた。
 翌朝、聞多は昨夜の器を持って本宅の台所に行った。皆の朝食が終わったところで、一息ついていた武子に声をかけた。
「たけさん、昨夜のこと済まなかった。粥はとても美味かった、ありがとう」
「このようにお持ちいただかなくとも。いえ、昨夜のことは私も言い過ぎました。申し訳ございません」
「わびるのはわしのほうじゃ。そうじゃ、デートなるものをしよう」
「デートですか」
「昼過ぎに、外出をするんじゃ。話したいこともあるし。周りのものに内緒でな」
「分かりました」
 人の目を忍んで、聞多と武子は別々に家を出た。今回浅草に向けて人力車に乗った。目的地は天ぷら屋だった。
「たいへん美味しいものですね」
その様子を見て、聞多も嬉しくなり、気も大きくなった。
「そうじゃろ」
「それで、私にお話とは」
「あぁその、一通り終わってからじゃ」
一通り食事が終わったところで聞多が切り出した。
「それで、話じゃが」
「はい」
「武子さん、わしの妻になってくれんか」
「えっ。すいませんもう一度」
「たけさんを妻として欲しい。わしの一目惚れからじゃし、嫌ならはっきり言ってくれ。もっともわしには子もおるし、母上は病がちじゃし、家のこともあるからの」
 別段驚いた風もなく、落ち着いた声で武子が答えた。
「分かりました。お受けします」
あまりにもあっさりとした、答えを聞いた聞多は驚いて言った。
「本当か」
「はい。井上様と共に生きてみたいと思います。お家のことはすこし大隈様からお聞きしておりますし。大丈夫です」
武子が微笑んで言ったので、聞多にも張りが出てきた。
「病んだ時弱気になると言われるが、わしはたけさんが必要なんじゃ、と思い知らされた。とてもうれしいの」
 二人は屋敷に戻ると、大隈夫妻を前に結婚することを決めたと、はっきり言った。大隈は聞多の決心が、どれほどのものかわからなかったし戸惑っていたので、伊藤夫妻を呼びに行かせた。聞多と武子とそれぞれ気持ちの具合を、男性同士・女性同士確認させるのが良いと思ったのだ。
「聞多、武子さんと結婚するのは本当か」
まず博文が口火を切った。
「本当じゃ。武子さんに求婚して、受けてもらったんじゃ」
「それは目出度い。じゃが、僕は君がどこまで本気なのか疑問じゃ」
「そうだ、井上。武子さんはれっきとした旗本のご息女である。それだけの心構えがあるのか」
「どれだけ、先のことまでかはわからん。でも、わしはたけさんとやっていく」
「もっとも、武子さんが聞多の茶屋遊びに呆れ果てることもあるから」
「そうだ、梅さんに話ば聞いて、やむっというかもしれん」
「はぁ、わしはそねーに信用ないのか」
「おなごに関してはの」
と博文が言うと、大隈が思い立ったらしく大きな声で言った。
「そうじゃ婚礼をしよう。吾輩が仲人をするのである」
「聞多の気が変わる前に、同士連中でも集めてやりましょう」
「わかった。おぬしらの良い通りにせいよ」
「あっそうじゃ。中井のことはどうなんじゃ、聞多」
「中井とは何もなかったと言っておった。あちらも妻子持ったことじゃし」
「そうであるな。ここまでなにもないのだ」
そんなことを言い合っていると、綾子の声がして、梅子、武子と連れだって入ってきた。
「旦那様方、武子さんは井上様と夫婦になるという、お気持ちは変わりませんでしたよ」
 綾子がそう言うと、梅子も継いでいった。
「井上様の道楽ぶりもしっかりお伝えしました。殿方もこうして何かとお集まりになるのですから、私達も集まりましょうと」
「綾子さん、梅子さんこれからもよろしくお願いします。大隈様も伊藤様もありがとうございます」
武子が聞多の目を見て微笑むと、その場にいた一同に挨拶をした。
「聞多、これは僕らも心していかないと、いけないことになったね」
「吾輩もおぬしらと一緒か」
大隈は聞多と伊藤と一緒にされるのは、たまらないとばかりにため息を付いた。

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瑞野明青
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