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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#70

15 運命のひと(1)

 博文の帰京に合わせて、聞多は本当に勝と鳥尾小弥太を連れて行った。しかし、間に合わずに大蔵省と民部省は分離されることになった。大隈は大蔵大輔、伊藤博文は大蔵少輔、聞多は大蔵大丞兼造幣頭と民部省から外れた。民部省には広沢や大木が任についていた。
 そのことを語り合うため、聞多は俊輔とともに大隈の屋敷にいた。
「大久保さんにいいようにやられたんかな」
「大隈さんもこれでいいとは思っとらんよね」
「伊藤も井上も随分あおるな。吾輩はそこまで落ち込んではいないぞ」
「それならばええけど」
「そうじゃ、わしは明日木戸さんところに行くことになっちょる。せっかくだから色々話を詰めておく」
話が途切れたところで、綾子が近寄ってきた。
「お食事などはいかがですか」
「そりゃええの。酒もお願いしたいものじゃ」
 酒とあてになる食事を、綾子とその影のようにもうひとりの女性が持ってきて、テーブルの上に並べた。聞多はそのもうひとりが気になって、じっと見つめてしまった。あまり見すぎても失礼ではと、頭によぎった。聞多は目の前に置かれた鶏肉と大根、ごぼうを炊き合わせた皿に箸をつけた。
「ん、これは美味いの」
「あら井上様、それは武さんのお手の一品ですよ」
今度は、しっかりと武子の方を見ていった。
「武さん、これは美味い。立派なものじゃ」
 聞多はにっこり笑って見せた。武子の方は驚いてしまって、聞多の顔を見つめてしまった。
小さな声で「ありがとうございます」というのが精一杯だった。
 何度か酒をおかわりしているうちに、聞多は寝てしまっていた。それに気がついた武子が博文に声をかけた。
「お水をお持ちしましょうか」
「いや、せっかく寝ているんじゃ起こすのは可愛そうじゃ。そこのソファで寝かしておこう。大隈さん、聞多をその椅子に寝かしておこう。持ち上げるの手伝ってくれ」
 ウトウトしていた大隈に博文は声をかけて手伝わせてた。その様子を見ていた武子は奥から夏掛け布団を持ってきて、聞多にかけた。
「聞多も疲れておるんじゃ。先ごろは山口の騒動を治めて、今度は大阪から意見をしに上京。藩政府と中央と難題続きじゃ。せめて寝られるときはの」
聞多の頭を撫でながら博文が呟いていた。
「僕は帰るからあとは頼む」
「伊藤様?」
 武子は伊藤が帰っていくのを見送った。大隈も寝所に向かって、広間の椅子に聞多が寝ているだけになった。明かりの始末をして、武子も自室に下がろうとしたとき、うめき声がが聞こえてきた。明らかに聞多がうめき声を出していた。
 聞多はうなされていた。夢の中で暗闇の中に引きずり込まれていた。そこでキラッと光る刃に斬られた。刀を抜こうと手を腰にあてたが何もなかった。声を出そうとするが、声も出なかった。体を持ち上げようとした。少し動いたので、わぁと声を上げた。
 その声に驚き目が覚めた。まだ夜は明けておらずあたりは暗かった。寝汗をかきつつ、体は冷たく、自分は生きているのか実感が持てなかった。
「夢か」
 はっきりと声に出してみた。あの斬られた日のことは思い出したくもないが、こうやって夢の中で再現される。いつか本当に斬られて、殺されるのではないかと思ってしまう。助けてくれる人もいない。そんな孤独を感じていた。温かい、ぬくもりが欲しかった。
 そこに心配そうに覗き込む武子の顔があった。
「大丈夫ですか」
「だいじょうぶじゃ。なんでもない」
 そう言うと聞多は逃げ出すように部屋を出た。武子はその後姿を見ていることしかできなかった。
 未だ夜も更けきってはおらず、月が綺麗だった。風が吹くと涼しさを運んできてくれた。冷静になるべきじゃ。そう思って時分の寝床に入った。しかし、覗き込んでいた武子の顔が目に浮かんでは心臓の鼓動が早まっていた。寝付くにはあの姿は心が急き立てられて、目を閉じても眠れなかった。

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瑞野明青
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