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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#123

22 江華島事件(6)

 また博文が訪ねてきた。きっと朝鮮派遣の件だと思って話を聞いた。
「聞多、すまん。大久保さんに改めて君の朝鮮使節の件を話してきた。元老院議官に任官、副使で内定になった。裁判の件も近々終結するはずだ」
「わかった。会社の今後についても益田には話しておいた。それで、一番の難敵についてはどうしたらええのかの」
「一番の難敵とは。木戸さんのことか」
「そうじゃ。木戸さんの渡韓をわしは反対しておった。そのわしが、大久保さんの推薦で、再任官の一歩として副使として行くのじゃ。木戸さんが納得するわけなかろう」
「僕が聞多を大久保さんに、なびかせたということでもええぞ」
「いやいい、木戸さんに挨拶に行く。その時説明することにする」
「わかった」
「欧米遊学の件は」
「これも大丈夫じゃ」
「会社を閉めるのか。寂しいの」
「大隈に貿易会社のことは言ってある。そのうち動き出すはずじゃ」
「そうじゃね。吹っ切って次に進まんと」

 そうだ、聞多の代わりに僕が吹っ切っておこう。博文は木戸に会いに行った。なるべく丁寧に話しておこうと、落ち着いたふうに話し始めた。木戸もいつもの報告だろうとくらいにしか、思っていないようだった。
「木戸さん。お話があります」
「俊輔か。朝鮮の問題はどうなっている」
「そのことですが、正使に黒田清隆、副使に井上馨の両名で決することになります」
「ちょっとまて、副使が誰だって」
「井上馨。聞多が承諾してくれました」
「裁判は、どうなった」
「大蔵省が取り扱いの間違いを認め、とりすぎた分を村井に返金します。そのうえで、いくらかの科料(とがりょう)で済むはずです」
「裁判が済めば、元老院議官に任命されて、来年の初頭に朝鮮に向かうことになります。もちろん先収社は清算することに」
「元老院議官として、再任官するというのか。そのようなことは聞いていないが」
「聞多は木戸さんに説明できないと悩んでいました」
「私に説明できないことがあると」
「そうです。第一、裁判の終局への道筋は大久保さんがだしたのです。大久保さんに義理を感じるのは当然のことだと」
「大久保さんに義理と」
「たぶん。それにあわせて、3年間の欧州遊学も決まってます」
「3年間の欧州遊学」
「聞多らしい条件と思います。大久保さんと取引をするとは」
「そうだな。聞多は密航の1年足らずしか、イギリスにいられなかったのだからな」
「そうです。誰よりもいきたがっていた聞多は、今や木戸さんよりも経験が短いのです。僕には当然の褒美でもあると思うのです」
「そうだな」
「後日聞多はご挨拶に参ります。そのときになんとでも言ってやってください」
「じゃぁ僕はこれにて」

 木戸は博文が帰った後もぼーっとしていた。馨が大久保と取引をして、再任官を果たし、遊学を勝ち取った。思いもよらなかったことに、今まで知らされなかったのは、所詮その程度の関係のものだという気持ちと、かけがえのない友人だったのに裏切られたと言う気持ちが交互に現れていた。

 そんな時馨が現れた。
「木戸さん、折居って話があって来ました」
「聞多、朝鮮派遣使節の件受けたのか」
「あぁ、ご存知でしたか」
「君はあれだけ反対していたではないか。私が朝鮮派遣を希望していた時、なんて言っていた?覚えていないのか」
「覚えています。忘れてなど無いです」
「確かに私は、君に再任官をさせると言ったが、できなかった。裁判でも力にはなれなかった。それでも色々振り回してきたのだから仕方がないが。芋を利することなどするな、と言ったのは聞多だ。使節の受諾は同じことだろう。専制を縛るため目指した立憲政体ではなかったのか」
「わしは何も変わっとりません。木戸さんの体を考えれば、渡韓は無理なのは皆わかっちょる。わかっとらんのは木戸さんだけじゃ。その麻痺をした足で動けるわけないんじゃ。黒田が正使で副使に誰がとなった時、俊輔から対抗できるの、わししかおらんと」
「それで」
「いいですか、会社の資本の多くはわしが出した。そこには多くの人が生活しちょる。それを止めてわしだけ次がある。簡単なことじゃ無いです。でも、戦だけは避けねばならん。わしの一条は何じゃと。だから決めたんじゃ。黒田ごときの副官であっても。それに、大久保さんが、その後わしを使うかどうかはわからん。だから海外遊学を条件にした。そういうことじゃ」
「大層ないいわけだな」
「言い訳、結構じゃ。いいです。分かってもらおうなんておもっとらん。帰ります」
 馨は売り言葉に買い言葉のまま、席を立って出ていった。
「友情なんてつまらんものだ」
 木戸も馨が謝りに来たと、思いこんでいた分、裏切られた怒りが勝っていた。しかし、冷静に考えると、動けない自分に代わり、自分の思いを一番知っている馨が行くことが、現実的なことだと思うようになってきた。

 正式決定からの、馨はものすごく忙しかった。
 江華島事件と朝鮮半島の現在について、外務省や陸海軍からレクチャーを受け、たくさんの資料を読み込んだ。譲歩できるところ、決して譲歩できないところを関係者で共有すべく話し合いを重ねた。
 その間に銀座の千収社にいき、清算に関わる話し合いと指示を出した。ざっと概算でも、清算の後の純利益が残っていて、社員に配れるだけありそうなことがわかって、胸をなでおろしていた。そんな日々を過ごしているとあっという間に東京を発つ日がやってきた。

 明治8年も暮れようとしていた頃、真新しいフロックコート姿で、馨が木戸の元を訪ねていた。
「その服装は」
「昨日、元老院議官の任官と、朝鮮差遣の特命副全権弁理大臣に任命されました。裁判はその前日罰金30円で結審しました。もちろん当日支払いました。これで、無事官員に復帰です。ご挨拶に伺うのに敷居が高くて。今になってしまいました」
「敷居が高いとは」
「あるところで、もう友人とは思わないと言われていたと聞いたもので」
「それに、今日これから東京を出発します。会社の清算のこともあって、すぐに大阪に行かなくてはならん状態で。そのまま大阪から、朝鮮に向かうことにしてもらいました。だからここで、木戸さんに会えなければ、帰国するまでは駄目なので、お顔だけでもと来ました。やはりご気分が宜しくないようですから、これで帰ります。ありがとうございました」
 馨はそう言うと立ち上がって、出ていこうとした。
「待て、待ちなさい。勝手に決めるな」
「ありがとうってどいういうことだ」
 木戸が怒鳴っていた。とっさに出た大声に、木戸自身も驚いていた。
「えっ」
 馨の動きが止まって、木戸の方を向いていた。
「聞多を初めて、引き止められた」
 木戸は少し困ったような、笑みを浮かべた顔をしていた。
「聞多は言いたいこと言ったら、出ていくことが多いだろう」
「わしは、それほどのことはないはず」
 馨は泣きそうな、笑顔で答えていた。
「いや、君は話し出すと頭に血が上って、最後は吐き捨てるように言って去っていく。悪い癖だ」
「そんな事はないはずじゃ」
「だったら、かけがえのない友の、めでたい日を祝わせてほしいの」
 木戸は笑いながら、飾り棚にあるグラスを2つとウイスキーを取り出した。
「どうだ。一杯」
「ありがたくいただきます」
 馨は木戸と対面する形でまた席についた。
「全て終わったら欧米に行くんだろう」
「何他人事で言っとるんですか。聞いとらんですか。木戸さんも一緒にと俊輔に言っておいたのに。いや、武さんとお末と松さんも皆一緒じゃ」
「そのようなことは聞いとらんが」
「木戸さんが諸々一人でかぶることは無いんです。後のことは俊輔や狂介に任せて一緒に行くんじゃ。昔、約束したはず。いいですね」
「皆で。松子も一緒…」
「それでは、本当に今度こそ行って参ります」
「私は、ここで聞多を支えるべくしっかり考えるよ。もし破れたときには私が出ていくからな。覚悟しておくんだ」
 馨は満面の笑みで答えていた。

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