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【映画レビュー】『恋人たちの食卓』:父と娘の「生欲」ドラマ

 たまたま人から勧められて見たのだが、公開時にも観ていたので、約30年ぶりに見直したことになる。
 そのときの印象はおぼろげにはあったのだが、内容は忘れていて、見直してみると、初めて見たくらいに新鮮だった。人は忘れてしまうものなのだなあと、痛感した。
 死ぬまでにあと何本映画を見られるかわからないけれど、見た映画については、できる限り、感じたことや考えたことを書き残していこう。
 淡々と書き残していこう。

三人の娘たちの物語

 老いた父親と、三人の娘たち。ホームドラマの鉄板の構図かもしれない。それだけで何だかわくわくする。
 最初の方に映画に登場する娘たちの印象はこんな感じだ。
長女→大学生時代に失恋をしたらしく、それ以降、敬虔なキリスト教信者となり、恋愛とは無縁の生活を送る。
次女→キャリアウーマンとして活躍し、いつでも会える男性をキープするなど、華やかな恋愛をしている。
三女→まだ幼い感じで、姉たちのどろどろした姿を、自分とは世界が違うように見ている無邪気な大学生。
 ところが、三人はそれぞれ、最初の印象とは全く違った道を進んでいく。

生きていくことへの欲望

 一方、年老いた父親は、娘の幸せを願ってはいるのだが、娘たちから見ると、頑固で融通が利かず、逆らえない煙たい存在でもある。
 物語は、娘たちのうち、誰が家を出ていくのかということをめぐって進んでいく。それはすなわち、恋人や結婚相手などと暮らすために家を出るということである。
 その過程で、三人の娘たちそれぞれの恋愛が描かれていくのであるが、単なるラブの話ではない。食欲、性欲はもちろん、嘘や裏切り、信仰などなど、人間の裏側の面、醜い面が次々とあぶりだされていく。それがこの映画のみどころである。
 といっても、暗い話では決してなく、あっけらかんとおもしろく描かれていて、とても楽しい。
 ひと言でいうと、生きていく欲求、すなわち「生欲」といってもいいかもしれない。うん、そうだ。「生欲」の映画です。

人間って理屈じゃないんだな

 結局、最後に家に残されて、父と一緒に暮らすことになったのは、一番奔放で自由だと思っていた次女であった。実は、最後には父までも………(映画を観て下さい!)。
 一番反発していた人が、いちばん近くにいるというは、ほかの作品でも時々ある気がする。でも、この映画は全然陳腐ではない。やっぱり、ジーンとくる。なぜだろう。
 それは、人間というものが、ひと筋縄ではいかないことを見事に表しているからのような気がする。人間って理屈では割り切れないものだ。なぜなら感情があるから。感情は理不尽なものである。
 人は、理解できない感情に振り回されてもがき苦しむ。でも、理屈を超えた感情によって喜びも得られる。
 それにしても、人間って、滑稽で、哀しいものだな。だからこそ、見捨てられないし、愛情も湧くのかもしれない。人の本質は感情にあるのだろうなと、あらためて思った。


 30年前の作品で、今風の作りでは決してないのですが、全然色あせていません。とてもパワフルな人間ドラマです。
 ボロ雑巾のようになっている今の自分には、ちょっとヘビーすぎるくらいエネルギッシュです。

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