急速なオンライン化による過労死の危険性
(アメブロよりnoteへ移行するため過去の記事を掲載_2020年4月30日投稿)
・激しい物忘れ
・単純な計算のミス
・心身の疲労
・体調不良
・味覚の鈍化
・イライラ・落ち込み
・無気力・無関心・無感動
・睡眠不足・不眠
脳過労においては上記のような症状があるということだ。
急速に進むオンライン化、外出自粛により、スマホ、パソコンの使用が増え、これらの症状や健康状態、人間関係の問題を自覚する方へは下記リンクや脳過労に関する他の記事などを熟読することを勧める。
NHKクローズアップ現代
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4249/
今日の散歩で脳過労について友人に話したところ、看護婦の彼女からは「なるほど、だからか。」との返答。
ネットカフェなどで数十時間継続的にゲームをしていた人がそのまま死に至るケースがあるという…。
紙媒体と違い、スマホなど、オンライン上の情報には情報そのものだけではなく光や色などが含まれるため、脳にとってはより多くの情報と認識されるが、それが継続的に送られることで脳内で情報を整理する工程に至らず、脳内が情報のゴミ屋敷のような状態になるという。
また、「ながらスマホ」により、脳が苦手とするマルチタスクの状態を強制することも原因となっているようだ。
脳過労に陥れば精神的、肉体的に異常をきたす。
もしもこれが更に悪化した場合、感覚の鈍化により知らずと肉体をも酷使し、通常は意識せずとも機能する生命維持に不可欠な呼吸、脈拍、血圧、体温などの調整に異常をきたし死に至るというケースもあり得るのでは…?
友人によれば、医師の立ち会いがない不審死については死因を心不全とするのだそうだ。
前述の長時間にわたる過剰なゲームプレーは、脳過労により様々な感覚が麻痺し、その結果心臓機能低下に気づかなかった結果の心不全であった可能性もある。という推測だ。
だとすれば、これまでの不審死には脳過労による死も含まれていたのかもしれない。
新型コロナウィルスの感染拡大により余儀なくされたテレワークや友人、家族とのビデオ通話などで、あらゆる事象におけるオンライン化が急速に進んでいるが、ライフスタイルのバランスを鑑みずオンライン化を推奨することの危険性についても考慮する必要があるのではないか。
オーストラリアにおいてはエクササイズやウォーキングなどを推奨してはいるものの、危険性について可視化しなければ、もともと運動を嫌う人々は敢えて体を動かすことをせず、スマホ、パソコンの使用が急増し、心身に異常をきたす場合もあるかもしれない。
日本において大きな問題となっている過労死は、肉体の酷使により起こるのがこれまでのケースであった。
肉体の酷使であれば本人にも自覚があるだろうし、周囲の者の目にも明らかであろう。
しかしながら脳過労においては本人が気づかぬうちにその状態に陥り、また他の中毒同様、変化を嫌う脳の性質から止めることに苦痛を伴うという怖さがある。
憶測でしかないが、もしも脳過労の悪化が生命維持機能へまで影響を及ぼす可能性があるとしたら、悲劇が起こる前に個々が意識的に脳を休め、脳内で情報を整理する時間を作るべきであろう。
またリンクのサイトによれば子供の継続的なスマホの使用においては、脳の発達に遅れをきたすとのテスト結果がある。
ここで一つの疑問が頭に浮かぶ。
「右向け右」
他と合わせる日本人の傾向は島国という地理的条件のみによるものなのか?
脳過労の状態にあっては人は洗脳しやすい性質に陥いるのではなかろうか…?
テレビっ子やコンピューターゲーム、アニメ世代からデジタル漬け、情報過多は始まっていたのでは…。
これらの現象が問題視され始めた頃には脳過労に関する研究データはなく、長時間テレビを見続けることは良くないとされていたものの、具体的な研究結果を突きつけられることはなかった。
それが意図的であるか否かは判断できないものの、我々がこれらの社会現象の中に洗脳されやすい人格に形成されていたという可能性がないとは言えない。
脳過労についての英語の文献を検索したところ、ここにあげた日本語による記事のようなはものはヒットしない。
スマホ、パソコンなどにおけるデジタル中毒という近年の社会現象と、それに伴う精神異常については記述があるものの、科学的なそのメカニズムと研究結果などについては記述が見当たらない。
世界的なパンデミックにおいて先進国でロックダウンを決行していない国はこれまでのところ日本とスウェーデンのみである。
もしも仮説が正しければ、第二次世界大戦後に被洗脳脳に仕上がった日本以外の先進国が、今被洗脳脳へと導かれている可能性も考えられないことではない。
実際、この数ヶ月間、友人らとの会話には必ず新型コロナウィルスの話題があがるが、これは洗脳の結果であると言えよう。
陰謀説を信ぴょう性のない憶測のように人は語るが、リーダーシップを取る立場の者が、自身に都合よく全体を導くのは当然のことであり、プランは確実に存在する。
それは我々個々が自らの人生において何らかのビジョンを持ちそれに向かい行動をすることに等しい。
それを「陰謀」と言えば不確かとなり、「プラン」と言えば確固たるものとなる。
我々が生きるこの世界は我々の概念により成り立つもの。
この世界の基準である経済は、実は全宇宙においてチリひとつにも満たない人類という生物が作り出した実態のない概念に他ならない。
そして全宇宙において経済という価値基準は人類にしか通用しない、極めて曖昧な概念なのだ。
こんなにも微小で曖昧な、実態のない概念に縛られる現実は我々がすでに洗脳下にある証拠なのだ。
今、新しい世界が始まろうとしている。
その認識を、漠然と持つ者は少なくないだろう。
リーダーシップを取る者が我々をどこかへ導こうとしている。
しかしながら新しい道筋は必ずしも一つではない。
先が見えない状態、それはどこへでも行ける自由があるということ。
川の流れの中心を大きな岩でせき止めれば流れが変わる。
水は自然とくぼみへ流れる。
岩が落とされ、そこにあるくぼみへ流れようとしているのなら、そのくぼみを埋めるか、別の場所へくぼみを作れば良い。
違った流れを作ることも可能なのだ。
現状は流れがせき止められた状態に過ぎない。
リーダーシップを取る者のプランに基づく新しい概念、新しい世界はまだ確立してはいない。
新しい概念の確立は我々次第なのだ。
その概念により新しい世界が決まる。
流れを俯瞰する。
世界はいかなる方向へ導かれているのか。
目の前の現象に捉われるな。
新型コロナウィルスの感染拡大自体は些細な問題。
そこに大きな流れの変化がある。
見せられた情報で現実を限定するな。
変化は始まったばかり。
まだ遅くはない。
何者かによって作られた概念に生かされたくなければ、我々個々が世界への認識に責任を持つこと。
オンライン化へと進んでも構わない。
しかしながらそれに使われてはならない。
我々は経済システムにより使うための金を稼ぐのではなく、金に使われる現状に生かされている。
同じことを繰り返さないために、常に現状を俯瞰する。
他者とのコンタクトが奪われる分、それを補う直感を磨く。
脳過労に陥り、何者かに都合の良い概念に生かされてはならない。
完全なデジタルデトックスとまではいかなくとも、5分間ボーッとする時間を作るだけでも改善に効果があるということだ。
毎日のエクササイズなどライフスタイルの改善や、何もしない5分間の休養を意識的に取ることで自己の意識をしっかりと管理することが重要だ。
※この投稿は「脳過労」に関する記事以外、何の情報も参考にしていない私の個人的な見解に過ぎず、信憑性はまるでない。