世界はどこへ向かっているのか
我々の想像通りであり、それは我々の選択の結果でもある。
半年ほど前に「2001年宇宙の旅」を観た。
今までに観た中で最も退屈な映画であった。
あまりに退屈で、最後まで観ることができず、2日にわたり見終えた。
なぜ退屈なのか?
その理由について考察した。
1) 「すごい未来」という興奮がない。
2) ストーリー展開のテンポが遅過ぎる。
1)
50年前に人類が思い描いた「未来の世界」、そこにWow factorとなる「すごい未来」はない。
ほぼ全てが今では「現実」のものとなっている。
50年前のスゴイ未来は現在において何の魅力も感じない現実であり、当然のもの。
ビデオ通話、タブレットでのニュース視聴、ボイスコマンド、システムのコンピュータ制御、無意識下にあるヒトの生命維持コンピュータ制御。
映し出される宇宙の映像、クリアな地球の姿、ワームホールの想像図、スペースシップのデザイン。
映画が公開された1968年当時を知らない私にとって、全ての物が当たり前過ぎて、「驚くべき発想」と捉えることができない。
2)
1968年当時のテンポは現在の我々には遅過ぎて退屈極まりない。
我々の脳内の刺激の伝達という機能、つまり脳の処理能力が向上したことの証しだろう。
これら2つのファクターを元に考えるなら、こういうことであろう。
「今想像した未来像が早い速度で現実化する」
今想像した未来像は、これから先30年、20年、あるいは10年の後に現実になるということ。
今、人類全体は未来へいかなるイメージを持っているか…。
少し前、「コロナ以前」までは終末思想の傾向があったのではないか。
環境破壊
地球上における大規模な天災
宇宙規模の災害
地球外生命体からの攻撃
AIによる支配
我々はパンデミックにより起きた大変動に戸惑い、未来が見えない状態に陥っている。
しかしながら、道が見えないということは、どこへでも行ける自由があるということでもある。
前後、左右、上下、どこへでも好きな方向へ道を作ることができる。
何も分からないからこそ、その未来像をリセットするチャンスでもあるのだ。
いつでも未来を作るのは我々の意識だ。
行動が意識を変えるのではない。
意識があるから行動を起こすのだ。
今、我々には未来を理想の未来像に書き換えるチャンスが到来している。
好きに夢想、妄想すれば良い。
先が見えない、分からないのだから、過去の延長である必要はない。
美しい地球のあるがままの大自然と人類のテクノロジーとの共存も可能であるし、金という価値観のもとにプレッシャーがある世界からの離脱も可能。
心が幸せに満たされ、未来に不安を感じない穏やかな世界も可能なのだ。
未来にあるのは我々の想像通りの世界。
制限がないのなら、いかなる世界に生きたいのか。
今は不可能に思える最高に幸せな世界を思い描いたなら、未来はその通りになるだろう。
思う存分、自由な妄想に心地よく浸るがいい。
余談になるが、驚いたことに、昨年12月のバースデーには自身のブログに以下のように投稿していた。
「(世界の)状態が極めて悪い場合、外科手術のような大胆なアクションも必要であろう。」
実は我々はこの非現実的な状況を去年から予期していたのかもしれない…。