上下水道の歴史③ ~戦後、経済成長、成熟、そして次世代へ
日本における上下水道発展の歴史、最終回です。
前回は、明治維新による水道・下水道の文明開化について書きました。
第3回(最終回)は、戦後、高度経済成長期、成熟社会における水道・下水道の変遷をたどりながら、今後の水インフラについて考えます。
戦後のGHQ占領下における水道整備
第二次世界大戦後、日本の水道はGHQ占領下で米国化が進みます。
GHQ指示により、当時の米国基準をもとに水道の塩素消毒が義務付けられました。
GHQは、水道に対して塩素を2ppm(ppm:百万分の一)注入すること、給水末端で0.4ppm以上確保することに加え、飲料水の供給は適切な水圧・水量・水質を確保するように指令を出しました。
現在も日本の水道法では塩素消毒が義務付けられており、GHQ占領下の影響が今も残っています。
1950年に制定された「水道法」の第1条では、「清浄にして豊富低廉な水の供給を図り、もって公衆衛生の向上と生活環境の改善とに寄与することを目的とする。」と記載されました。
この条文は、水道法改正が繰り返された現代においても変わっていません。
こうして、日本は世界有数の「水道水がどこでも飲める」国となりました。
また、1951年には「下水道法」も制定されますが、当時の予算や社会ニーズの都合で、下水道の整備は水道に劣後しました。
高度経済成長期、公害と下水道整備
時代は戦後復興から経済成長期に移ります。
工場や家庭からの排水による公害の深刻化に伴い、社会の衛生観念が強まったことで、ようやく下水道整備が進みます。
1957年には、当時の建設省都市局に下水道課が発足しました。それまでは戦後の復興事業として”道路整備”が優先されており、国の下水道予算は不足していましたが、1959年には下水道事業の国庫補助金が前年の倍になりました。東京オリンピック開催決定も、下水道整備を後押しした面があったと言われています。
成熟社会における水道・下水道の役割
高度経済成長を経て、成熟した日本社会では水道・下水道の役割も変化しました。
水道水の安全性に対するニーズの高まりをうけて、1989年の「水道法」改正に伴い、より厳格な水質基準が設定されました。この改正により、日本の水道水の品質は世界トップレベルに達しました。
技術的には、従来の急速ろ過方式から、より清澄な処理水が得られる膜ろ過方式の普及が進んでいます。
また、下水道に関しても、1994年に「下水道法」が改正されたことで、単なる処理機能だけでなく、浸水対策や下水資源の活用(汚泥の肥料化等)など、多様な役割を担うようになりました。
そして、戦後わずか30%程度であった水道普及率は、現在ほぼ100%に達しています。下水についても、地域格差が残る一方、汚水処理人口は90%を超えています。
現代、そして次世代の水道・下水道
上述の経緯によって、日本の水道・下水道は世界最高水準にあります。
しかしながら、現代の水道・下水道は、設備の急速な老朽化、財政難、人口減、災害の激甚化といった新たな課題に直面しています。
詳細は、以下の記事でまとめています。
そうした課題に対して、現在の水道・下水道事業においては、AI導入やデータ活用による水処理、維持管理の効率化や、脱炭素化などが推進されており、新たなフェーズを迎えています。
社会構造の変化に対して、従来の「集約型水インフラ」だけでなく、「分散型水インフラ」を組合わせながら、「次世代の水インフラ」を柔軟に考えていく必要があります。
まとめ
水道・下水道発展の歴史について、全3回にわたりまとめました。
日本の水道・下水道は江戸の優れた「和製水インフラ」に始まり、明治維新の「文明開化」で近代化を迎えました。そして戦後・高度経済成長を経て、日本の水道・下水道の品質は世界最高レベルに達しました。
一方で、現在の水道・下水道事業を取り巻く環境は、設備の老朽化や人口減、財政難、災害激甚化といった社会変化に伴い、非常に厳しくなっています。
ただし、これまで日本は江戸幕府の誕生や明治維新、敗戦といった「とんでもない社会変化」に対して、時代に適した水インフラを整備し、乗り越えてきた実績があります。
「次世代の水インフラ」をつくる上では、歴史の先人たちに学びながら、みんなで一緒に取り組むことが重要ではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※こんなテーマを解説して欲しい!といった要望がありましたら、ぜひご連絡いただければと思いますので、宜しくおねがいします!
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