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私の中の「わたし」

物心付いた頃の記憶って、皆んなどれくらいの時期なんでしょう?!

2歳くらいの時、母の乗る自転車の後部に乗せられてた私は、かかとが後輪に巻き込みアキレス腱が切れかけたそうですが、自分の記憶には痛みも記憶も全くありません。

私の中の記憶は、幼稚園くらいからかな?

毎朝、幼稚園バスが家の前に到着すると家の柱にしがみついて行きたくないと泣きわめく、私はいわゆる登園拒否幼児でした。
幼稚園から帰るとコタツに潜り込みそのまま寝入るという完璧な陰キャが、よくぞここまで立ち直ったと自分で自分を褒めたい。

幼稚園、何がそんな嫌だったかって?!

内向的で友達など出来る性格でもない、食べる事に興味がないのに給食を盛られる、水嫌いなのにプールの時間がある、仏教幼稚園の為、のの様のお祈り時間があったが何をやってるのか分からず怖い...等など子供なりの幼稚園になんか絶対行かないぞ!って全力の抵抗だったと振り返る。

その後も同じように学校大嫌いの体質は変わらず、友達も少なく物静かでクラスにいるのか居ないのか存在感のない小学校時代を過ごす事になる。
その時は、とにかく一刻も早く自由な大人になりたいと思っていた。

家庭はと言うと、優男の父、かかあ天下の母、姉と弟の5人家族。

子供の頃の生活が、大人になってからの人格形成に関わる事は知られているが、強い母のひと声で全てが決まるという我が家。
その母の存在は、自分の今までの生き方に少なからず影響してきただろう。

姉や弟の行動に母の雷が落ちると、私は自然にそれを避けて自分の感情を抑えて良い子になる。
共働きで余裕のない両親に自分を見て!!って主張するほど明るいキャラでも無い私は、褒められる為に頑張る。
怒られない自分は、姉弟から要領よく立ち回ってるように見えたに違いない。

シワが増え白髪も見え隠れするくらい人生を歩んだ今、小さい頃の自分に問う。

『本当はどうしたかったの?』
『そうだよね! 悲しかったよね...』

良いも悪いもない。
誰かのせいにするわけでもない。
ただその時の自分に寄り添う。

そうやって記憶に残る自分の感情や思い残しを整理し、ひとつずつ感情を紐解く事で、随分長い間隠れ続けていた本来の自分がようやく顔を出した...


はじめまして!
私の中の「わたし」♡



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