父がしてくれたこと
夫が、
お父さんは、外で暮らしてたのに、家にお金も入れて、子供たちを学校に行かせて、大事に思ってたんじゃないかな
と言う。
父親らしいことは、お金でしかできなかったんだからと、若い頃はあたり前のように思っていたけど、
今になって思うと、不思議に思うことがある。
家
家で一緒に暮らさなかった父だけど、自分が住むことがない私たちの家を、増築、改築、新しい土地への新築を含め、3回家を建てた。
自分が寝泊まりしない家なのに、なんでそんなにお金をかけたんだろうと不思議に思う。
今はもうその実家は残っていないけれど。
教育
中学受験をしてお金のかかる学校へ通わせてもらった。
それは母ひとりの希望で決まったことだと思うけど(最終的には私も納得したけれど)、同じ小学校の同級生で受験する子は、私以外には一人いたような噂を聞いただけだったという環境の中、父はよく承諾したなと思う。
学校生活で色々出てくる必要なものは、母には言いづらく、父にもその都度連絡しないといけないので、特別な時しか言えず、必要なものも買わないこともあったり、周囲の生徒たちとは金銭感覚は違っていたなと思うけど。
家族で外食
家で父がごはんを食べるのを見たことがないけど、時々夕方に突然家に現れ、
「おい、行くぞ」
と言うと、私たち家族は急いで出かける準備をして、外食した。
父と行くお店は、母と3人では行けないような、どこもおそらく高級店でとても美味しかったので、私たち家族は、父との外食が楽しみだった。
今思うと、母と別居して別の人と暮らしているのに、一緒に食事をしようと思うのは、どういう気持ちなんだろう。
食事をしている時、父と母は会話があったんだろうか。
覚えていない。
家族でどんな会話をしていたか記憶がないけど、しーんと静かということはなかったと思う。
一緒に外食するような時は、父は機嫌が良かったし、私は末っ子として、にぎやかしの役をしていた気がする。
家族旅行
旅行も何度かしている。
小さい頃に2回。
これは写真で見て覚えているのと、母が飛行機を怖がっていた事で記憶している。
小学校の頃にも家族4人と母方の叔母、従兄弟も一緒に。
きっと費用は父が全部出したのだろうと思う。
現地では父とは別行動だった。
あとは、兄が東京の病院に通院してた時期があるので、それに合わせて東京や横浜に旅行もした。
兄の記憶では父と二人になってたけど。
私が19の頃、父と二人で北海道へ行く計画があった。
父は、趣味の馬を北海道の牧場に預けていたから、一人でよく北海道に行っていた。
それに私も同行して、現地では別行動で一人旅のようなものを体験するという計画だった。
直前に母が色々理由をつけてついて来たので、結局3人での旅行となった。
そのことを思い出して、また押し入れのアルバムを探してみた。
父との写真がそこにも数枚あった。
現地では別行動だったと思ったけど、一緒に少し観光もしたのだった。
それにしても、母がついて行くことを父はよく承諾したなと、今になると思う。
他にも色々してくれたこと、連れて行ってくれたところはあった。
決して気前のいいタイプではなく、外ヅラがいいだけ。
カッコつけるために外では家族にお金を使う。
というのが母から見た父。
私もそのフィルターを通して見ていたし、してもらってることをあたり前に思っていた。
でも。
今振り返って思うと、大事に思ってくれていたんじゃないか。
そう思って振り返ると、
私たちを思ってくれていた父が見えてくる。
気づくのが遅すぎたけど。
言えれば良かった。
ありがとうって。
今言ってもきっと届くよね。
ありがとうって。