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今こそ観たい映画の話「太陽の子」

8月になると、平和のありがたみを強く感じ、歴史をもっと知りたくなります。

8月6日、9日の原爆の日、そして15日の終戦記念日。
戦後76年です。

終戦時点で20歳だった人は、現在96歳。
10歳だった人は、現在86歳。
あと20年もすれば、日本で戦争を経験した人が殆どいなくなってしまいます。

🔶今こそ観るべき映画「太陽の子」

先日、「太陽の子」という映画を観て来ました。
すごく久しぶりの映画館。

私の大好きな柳楽優弥くんが主演だというのは、もちろんこの映画に興味を持ったきっかけの一つ。

でも、日米合作映画であり、京都大学で原爆研究をしていた学生や科学者の話、というのを聞き、
「え!?日本で原爆を?」
と、その内容にすごく関心があったんです。

とにかく感動!
素晴らしい映画でした。
泣かずに観るのが不可能な、最も感動のシーンは、柳楽くんがお母さん(田中裕子さん)が握ったおにぎりを食べているシーン!

三浦春馬さん演じる弟が戦場へと旅立つ時もそうだけど、お母さんがどんな思いでそのおにぎりを作っていたか。。。

東京育ちの柳楽くんが見事に関西弁を話しているのもすごい!

まだ公開中ですので、是非観て頂きたいですね。

(この記事のタイトル写真は『映画 太陽の子』公式インスタのものです)

🔶日本も原爆を作ろうとしてた?

よく、結果的には原爆投下が戦争を終わらせた、と言われます。

確かに、6月に沖縄が占拠され、広島、長崎と続けて投下された原爆の、想像を絶する威力・被害を見て、米軍の圧倒的な軍事力を思い知ることとなり、大きな要因となったことでしょう。

唯一の被爆国である日本はその恐ろしさを知っていて、戦後も「核撤廃」をどこよりも願う国だと思います。

戦時中、日本で原爆を作ろうとしてたのは何故なのか?

舞台となっていた京都大学は、軍の密命を受け、原爆研究をしていたといいます。

でも、その研究に没頭する科学者、学生達の思いは、殺りく兵器を作る、というものではなかったようです。

太平洋戦争は、そもそも石油などの「エネルギー」の問題で始まった戦争。彼らは、原子力というエネルギーを生み出せたら、戦争を終わらせることが出来る!と信じて開発していたんですね。

🔶広島、長崎の次は京都だった!?

原爆投下の目標都市はどのように決められたのか?

✅東京と長崎の間で、ある程度広い都市地域であること
✅目標自体は直径3マイル(4.8キロ)以上であること
✅戦略的価値が高いこと

という基準があり、最終的には京都市、広島市、横浜市、小倉市、新潟市の5都市に絞られ、その中で、広島市は、下記の理由で1番目になったといいます。

✅まだ空襲を受けていない
✅中心部に大きな軍事基地がある
✅周囲が山で囲まれていて、爆発を集中させ、破壊力が増幅される

一方、長崎は、捕虜収容所があり、地形の条件は合致せずも、軍需工場が2ヶ所ある港湾都市だったことから、2番目の地になってしまったのです。

もし、8月15日に終戦を迎えていなかったら、次は京都だったのでしょうか。

多くの命が奪われ、沢山の人の人生を変えていたことでしょう。

私は古都京都に残される世界遺産の数々、歴史ある寺社仏閣も好きで、時々訪れますが、当然、それらの文化遺産も失われ。。。

本当に恐ろしいです。

🔶終戦日の前夜のクーデター「日本のいちばん長い日」

終戦日には必ずと言っていいほど、昭和天皇の玉音放送が流れますよね。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」

実は、終戦の前夜、この録音盤を奪おうとしたクーデターがあったことをご存じでしょうか?

私はこの宮城(きゅうじょう)事件については、以前、
「日本のいちばん長い日」
という映画を通じて初めて知りました。

昭和天皇と内閣の閣僚は御前会議にて、ポツダム宣言の受諾、日本の降伏を決定、1945年8月14日、玉音放送を録音。

が、降伏に反対する徹底抗戦派が、偽造の命令で部隊を動かし、皇居に突入し、占拠!

天皇が終戦の詔勅を読み上げた「玉音放送」の録音盤を探すも見付けられないまま、クーデターは鎮圧されたのです。

もし、この時、録音盤が奪われていたならば、終戦日は15日じゃなかったかもしれません。

🔶一枚の写真が語る戦後「終戦のエンペラー」

こうして迎えた終戦。
そして8月30日、マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立ったあの写真はあまりに有名ですね。

マッカーサー元帥は飛行機のタラップに足を踏み出すも、すぐには下りず、戦勝国の威厳を示すかのように、コーンパイプをくわえた余裕の姿でぐるっと周囲を見渡したのです。

その頃、アメリカ世論調査では約3割の人が、昭和天皇を処罰すべき、とする中、極東裁判を控え、マッカーサーは昭和天皇に戦争責任はあるのか?の調査を始めます。

この時、どんな調査が行われ、誰が処罰され、「象徴」としての天皇が守られたのは何故なのか、私は「終戦のエンペラー」という映画でそのことを知りました。

この映画にも出てくる、昭和天皇とマッカーサー元帥のツーショット写真。

モーニングの正装で直立する昭和天皇。
一方、開襟シャツを着て、手を腰に当てて写るマッカーサー元帥。

この、天皇・皇室の尊厳を愚弄するような写真は、内閣が反対する中、GHQによって各社新聞の一面に出され、当時の日本国民のショックは相当なものだったでしょう。

映画で初めて知る戦争、歴史が沢山あります。

アジア・太平洋戦争を経験した人が一人もいなくなってしまう後世のためにも、映画などの映像を残し、語り継がれていくべきだと思っています。

この時期だからこそ、再度観たい映画、まだ観ていない人には是非観て欲しい映画の話でした。

平和に感謝!

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