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わたしはなぜキャンプの記事を書くのか?

ALOHA! みゆひょんでーす♪

このところほぼ毎日、キャンプやサイクリングの記事をアップしています。自分でもあきれるほどの熱意です。そんなに読まれているわけでもありませんし、スキも多くて10個ぐらい。

それなのになぜだかやめられません。意地もあるのですが、それだけではないように思われます。ならば、この熱意はどこから来ているのでしょうか。

単純に好きなことを好きなように書きたいからと思っていたのですが、それだけではないと思い、一歩引いて冷静に考えてみたのです。

そうしたら意外と深い思いがあったんだなと気づきました。


みんなと同じが安心という気持ちはわかります

コロナ禍で一気にブームになったせいかもしれません。初心者の方がキャンプに行こうと考えたら、まずは今の流行りを押さえることから始めるのが一番やりやすいと思うんですね。

だからでしょうか、昨年ぐらいからキャンプ場の風景がすごく画一的だと感じていたんですね。

「画一的」という表現はちょっとネガティブかしら。別にそれが悪いと思っているわけではないのです。

「みんなと同じが安心」という気持ちはとても日本人的ですし、わたしも昔はそうでした。

中学ではバレー部だったのですが、1年生の夏休みぐらいまでは別に試合に出るわけでもないので、普通の運動靴で練習していたのです。しかし秋になって新人戦というのがあり、専用のシューズを買う必要が出てきました。

自分で買いにいけば何も問題なかったのですが、なぜか母親に買ってきてもらったのです。すると母は、ミズノのMライン、しかも緑色のラインのものを買ってきたんですね。

今考えると個性的で良かったのですが、当時の定番はオニツカタイガーの赤いラインのシューズで、バレー部の仲間もわたし以外は全員それでした。

結局、足のサイズが合わなくなるまではMラインを履いていたのですが、ちょっと惨めな思いをしたのです。

ちなみにわたしの母はなぜか「個性的」なものが好きで、ほかにも中学生のときに買ってきてもらったもので同じような思いをしたことが何回かあります。なので高校生になってからは自分で買い物に行くようになったのでした。

それはさておき、「みんなと同じが安心」というよりも「みんなと違うものはみじめ」みたいな感覚がわたしにはずっとありまして、それから卒業できたのはわりと最近のことです。

だから初心者の方が定番のものを買う気持ちはよくわかるのです。

そもそも自分自身がみんなと同じではない

でも、一方でわたしには、そもそもみんなと同じではないという自覚も昔からありました。

細かいことを書くと本当に長くなるので端的に言ってしまうと、わたしは生物学的にはオスに生まれたのですが、小学校の高学年のころから女になりたいと思っていました。

自覚したのがそのころということで、振り返るとその芽は幼稚園のころからありました。

今でこそLGBTQなどという言葉が広く知られるようになり、自分の性別に違和感を持つ人がけっこういるというのが常識になりました。そのおかげでわたしもカミングアウトして、女性としてお仕事をさせていただいていますが、割合で言えばごく少数派です。いまだにそんな人間は病気で、治療可能だと考えている人もけっこうおられるようです。

薬で治るならどんなによかっただろうと思ったりもするのですが、それはさておいて、わたしが「みんなと違うのはみじめ」と思い込んでいた背景には、自分自身がみんなとは違うというのがあったのだと思うのです。

それをようやく克服できて、自分がトランス女性だと両親や古くからの親友にカミングアウトできたのは、2022年になってからでした。ようやく2年半といったところです。それ以来、わたしは誰の前でも女性の格好で出て行けるようになりました。子どものころからの夢が叶ったというわけです。

みんなと同じで楽しいの?

コロナ禍でキャンプが爆発的に流行したのでしたが、自治体が運営しているキャンプ場を中心に活動していたわたしは、コロナ禍の最中はほとんどキャンプに行けませんでした。

それが昨年の夏から再開したのですが、そのときにけっこうな違和感を覚えたのです。

「え? なんでみんな同じようなテントなの?」って。

これは本当に自慢ではないのですが、キャンプ歴は長いので、その分ギヤも古いんですね。気に入ったものを変える必要はありませんから。

なので、わたしのテントやタープ(そもそも今はタープ自体をあまり見かけません)がキャンプ場内ですごく浮いている気がしたのです。

ただみんなと同じでないと惨めという気持ちは克服していたので、それで惨めになったわけではありません。

みなさん、おそらく雑誌やムックあるいはYouTubeで勧めているようなキャンプをしているのでしょうけれど、それって本当に楽しいの?とちょっと思ってしまったのです。

自分なりの楽しみ方をしないとキャンプはおもしろくない

キャンプの楽しみ方は人それぞれです。中には「みんなと同じようにしているのが一番楽しい」という人もいることでしょう。それを否定しているわけではないのです。そういう人も、もちろんいていい。

でも、全部がそんな人ではないでしょう。

権威のある人が言っているので、そのようにやらないといけないと思い込んでいる人も多いのではないでしょうか。

だとすると、そんなキャンプはあまり楽しくないと思うのです。実際に、コロナ禍が終わって急速にキャンプブームが去っているのは、あまり楽しくなかった人が多かったからではないでしょうか。

わたしに言わせるとキャンプぐらい楽しい趣味はありません。ただし、それは自分好みにカスタマイズできるからです。人真似しかダメというか、絶対のセオリーみたいなものがあるなら、わたしはとっくにやめていたいたと思います。

自分のギヤを紹介したり、キャンプ体験記を書いたりしているので、もしかしたら自分のやり方を押しつけたくてやっていると誤解されたかもしれません。

本当は、むしろ正反対でして、わたしみたいなキャンプでもいいんだよということが言いたかったのです。

自転車でソロキャンプに行くなんて、それ自体主流派ではないじゃないですか。

ただお仲間がほしいという気持ちもありました。あまりにもマイナーなやり方をしているのでその気持ちが高じてしまい、もしかしたら押しつけがましくなっていたかもしれません。そう思って、長々と自分の気持ちを書いたのです。

コロナ禍で流行したのでキャンプを始めたのだけど、何だかイマイチおもしろくなかったという方々に申し上げたいです。わたしみたいなマイナーなやり方でいいのです。あなたにも必ず自分に合ったキャンプがあると思います。せっかくギヤも買ったのですから、まだ持っているのなら、また始めましょうよ。

そしてこれからキャンプを始めたいという方は、流行りのギヤから入るのもありですけど、自分がどんなキャンプをしたいのかを考えて、それを実現するためのギヤ選びを信頼できるショップのスタッフさんに相談するのがいいんじゃないかと思います。

こんなキャンプでもいいんだよということをわたしは発信し続けますので、それをヒントに自分なりのキャンプを見つけてください。

私が性的マイノリティーに生まれてきたことに意味を持たせたい

ということでまとめますと、わたしがキャンプやサイクリング(こちらもわたしは独特と思います)について発信しているのは、「みんな違ってみんないい」ということを本気で定着したいと考えているからです。

それがわたしが性的マイノリティーに生まれてきた意味だと思うから――というよりも、わたしが性的マイノリティに生まれてきたことに意味を持たせたいのです。

話が少し大げさになりました。深く掘り下げるとこういう気持ちが見えてきたので、残しておきたいなと思った次第です。


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いちおう有料設定ですが、多くの記事は投げ銭形式(全公開)にするつもりです。

キャンプ歴30年以上、ソロキャン歴5年の(2024年6月現在)みゆひょんこと森川ミユキです! キャンプできる場所って意外と近所にありまして…

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