人的資本経営 × 死に相対する哲学(3)
内観法の身体知が、人的資本経営による、個人と組織と社会の共進化を創る:理論と実践のドラマツルギー
人的資本経営や組織の心理的安全性など、現代の人と組織に係るあれこれの根本にある、世界観・働くことの変化・経営理論・多様な働き方と生き方について、古今東西の死に相対する哲学や宇宙観、現在進む生き方の捉え直しを踏まえて、日本グリーフアカデミーのmiyukiと、iU組織研究機構の 松井で語っていきます。
対話の4回目です。
# 第1部:内観体験と組織開発への示唆
松井: 内観法を体験されたとのこと、まず率直な印象をお聞かせください。私も組織開発の実践の中で、よく「内なる体験」の重要性に直面するのですが、より有効な方法論を見出せしたいと考えています。
Miyuki: はい。率直に言って、想像以上に構造化された体験でした。1m四方ほどの空間で、3時間ごとのセッションを通じて自己探求を行うのですが、そこには現代の組織開発にも応用できる重要な要素が含まれていると感じました。
松井: 興味深いですね。実は私も最近、人的資本経営や企業支援における「構造化された体験」の重要性を研究しています。たとえばウィリアム・ジェームズが言った「根本的経験論」の視点から見ると、体験の質そのものが変容をもたらす重要な契機になり得る。内観法の場合、どのような構造化がなされているのでしょうか?
Miyuki: 特徴的なのは、時間と空間の明確な枠組みです。例えば「生まれてから小学校入学までの期間における親との関係」というように、具体的な期間と対象を設定し、「してもらったこと」「して返したこと」を徹底的に振り返ります。最近のアジャイル開発でいうタイムボックス的な要素もありますが、より深い次元での「時間」との向き合い方を促すように感じました。
松井: その時間性への着目は本質的ですね。これは人的資本経営、特にトランスフォーメーション推進において重要な示唆を含んでいます。最近のデータでも、変革の成功率と「内省の質」には強い相関が見られるという調査があったように思います。
Miyuki: なるほど。私も人的資本経営に関するコンサルティングで、HRテック系の技術導入以上に「意識変容」が重要だと感じていました。内観法の体験で特に印象的だったのは、その「意識変容」が単なる知的理解ではなく、身体的な体験として生じる点です。
松井: それは組織学習論でいう「身体知」の領域ですね。「暗黙知」の議論とも通じます。私が注目しているのは、そこに現代社会で見失われがちな「修養」の要素が含まれている点です。儒教でいう「工夫」や禅の「只管打坐」にも通じる。
Miyuki: そう言われてみると、確かに。最近取り組んでいるピープルアナリティクスでは、定量的なデータばかりに注目しがちですが、内観法的なアプローチは質的に異なるデータをもたらす可能性がありますね。
# 第2部:内省的体験は個人と組織に何をもたらすのか
松井: そのピープルアナリティクスについて、もう少しお聞かせいただけますか?私も最近、人的資本経営の文脈で定量・定性データの統合に関心を持っているのですが、その観点から見て、内観法はどのような示唆を与えてくれそうですか?
Miyuki: はい。例えば、私たちが普段扱うエンゲージメントスコアや1on1の記録といったデータは、どうしても表層的な部分の把握に留まりがちです。一方、内観法での体験で興味深かったのは、同じ出来事でも視点を変えることで、まったく異なる解釈が生まれてくる。この「多層的な理解」は、現代の組織分析に欠けている視点だと感じました。
松井: その多層性という観点は本質的ですね。その観点では西田哲学が思い出されます。「場所の論理」では、主客の二元論を超えた経験の層における理解の重要性が説かれています。これは現代の組織論、特にピーター・センゲのシステム思考とも響き合う部分がある。コンサルタントとしての実践ではどのような課題に直面されていますか?
Miyuki: 具体的には、私も関わっている人的資本経営のプログラムの設計において、「関係性の質」をどう捉えるかが課題になっています。内観法では、「してもらったこと」「して返したこと」という枠組みを通じて、関係性を非常に具体的かつ深いレベルで探求できる。これは従来の360度フィードバックなどとは質的に異なるアプローチだと感じました。
松井: なるほど、実は私も最近、サステナビリティのより本質的な文脈で人的資本の評価方法を研究していますが、現在の枠組みでは捉えきれない「関係性の質」という要素をどう組み込むかが課題になっています。そこで老子の「無為自然」の概念が示唆的だと考えています。
Miyuki: 興味深い視点ですね。確かに内観法での体験でも、あまりにも意図的にコントロールしようとすると深い気づきが得られない。その代わり、構造化された場に身を置き、ただ観察を続けることで、自然と気づきが生まれてくる。これは現代の成果主義的なアプローチへの重要な示唆かもしれません。
松井: まさにその点です。実は道元の「只管打坐」も、目的意識的な修行ではなく、ただ坐ることそのものが悟りであるという逆説的な構造を持っています。これは現代の人材開発における重要な示唆になり得ますね。「成果」を直接的に追求するのではなく、適切な「場」をデザインすることで自然な成長を促す。
Miyuki: なるほど。それは私が内観法で体験した「制約による自由」とも通じる部分がありますね。物理的な空間は限られていても、内的な探求の自由度は高まっていく。これは最近注目されている心理的安全性の本質的な理解にもつながりそうです。
松井: 心理的安全性について興味深い指摘をされましたね。そういえばキャリアコンサルティングについて最近考察しているのですが、エドガー・シャインの「プロセス・コンサルテーション」とデーヴィド・ボームの「ダイアローグ」理論を統合する中で、安全な対話空間の本質について考察を重ねているのですが、内観法での具体的な場のデザインについて、もう少しお聞かせいただけますか?
Miyuki: はい。特に印象的だったのは、物理的な制約と時間的な流れの関係性です。1m四方の空間で3時間という設定は、最初は強い制約に感じられます。しかし、そこで興味深い現象が起きるんです。最初の1時間は表層的な思考や感情との格闘が続きますが、2時間目に入ると次第に深い層が開かれていく。私の専門であるチェンジマネジメントの観点からすると、この「変容の自然な流れ」は示唆的でした。
松井: その「深い層が開かれる」というプロセスは、ユング心理学でいう「個性化」のプロセスとも重なりますね。しかも興味深いのは、それが明確な構造を持った場において生起するという点。
Miyuki: なるほど。それは私が携わってきたコンサルティングでも重要なポイントになっています。形式化は一見すると制約的に見えますが、その中で創造的な解決が生まれる。内観法での体験を通じて、その原理をより深く理解できた気がします。
特に印象的だったのは、「視点の転換」が自然に起こるプロセスです。例えば、親との関係を振り返る際、最初は自分の視点からの解釈が支配的なのですが、時間の経過とともに、相手の立場からの理解が深まっていく。これは組織の変革において、しばしば課題となるステークホルダー間の相互理解にも応用できる知見かもしれません。
松井: その視点の転換の自然な生起というのは、近代哲学で言われる「存在の開示性」とも通じますね。私も以前、大規模な組織変革プロジェクトで、なぜ理論的には正しい施策が実践では機能しないのかという問題に直面し、「理解の質」そのものを問い直す必要性を感じました。最近のホロクラシー型組織への移行でも同様の課題が見られます。
# 第3部:「言語化を急がない」絶対経験が人的資本経営に与える影響
Miyuki: そう言えば、内観法の中で面白かったのは、言語化を急がない姿勢です。現代の組織開発では、すぐにフレームワーク化やモデル化を求めがちですが、内観法では「ただ観る」ことに徹する。これはKPIによる人的資本マネジメントとは真逆のアプローチですが、逆説的にその重要性に気づかされました。
松井: その「ただ観る」という態度は、実は高度なマネジメントの本質とも言えますね。経営学者のヘンリー・ミンツバーグも、効果的なマネジメントには「見極める力」が不可欠だと指摘しています。それは単なる分析的理解ではなく、老荘思想でいう「無為」に近い。しかし、その「無為」は無策や放置とは全く異なる、高度な関与の形態なのです。
Miyuki: なるほど。そう考えると、私たちが推進している人的資本経営も、もう少し異なるアプローチが可能かもしれません。例えば、最近注目されているOKR(目標管理)にしても、単なる数値目標の設定ではなく、より深い「観察」と「理解」のプロセスとして再設計できるかもしれない。
松井: OKRの再設計という観点は興味深いですね。私も最近、インテグラル理論のケン・ウィルバーが提唱する「4象限モデル」を組織開発に応用していますが、内観法での具体的な体験から、「内的象限」へのアプローチについて何か示唆は得られましたか?
Miyuki: はい。実は内観法の中で、パフォーマンスの評価とは全く異なる「達成」の感覚を経験しました。例えば、ある記憶が突然異なる文脈で理解できたり、長年の判断パターンの源流に気づいたり。これは、従来的なパフォーマンス・マネジメントの枠組みでは捉えきれない種類の「成長」だと感じています。
松井: それは本質的な指摘ですね。実は西田幾多郎の「行為的直観」の概念も、そのような「実践知」の次元を指し示しています。最近のGoogle re:Workプロジェクトでも、高パフォーマンスチームの特徴として、数値化できない質的な要素の重要性が指摘されていましたね。
Miyuki: 興味深い視点です。確かに、定量的なKPIだけでは捉えきれない「関係性の質」は組織においてとても重要です。内観法での体験で特に印象的だったのは、「してもらったこと」への気づきが、むしろ現在の関係性の理解を深めるという点です。
松井: そこですね。実は私も、シャーマニズム研究の文脈で「非線形的な時間」における理解の重要性を考察していますが、それは現代の組織論、特にピーター・センゲの「学習する組織」の本質とも重なります。禅の「公案」も、実は同様の機能を持っています。こうした様々な身体感覚や気づきを重視し、より統合された状態に持っていく、ということは、たとえば「働き方の工夫」でも重要な視点だと思います。こうした文脈で何か思われたことはありますか?
Miyuki: はい。特に興味深かったのは、「物理的な距離」と「心理的な距離」の関係性についての気づきです。内観法では1m四方という極めて限られた物理的空間にいながら、むしろそれによって心理的な探索の自由度が高まる。これは現在のリモートワーク環境で起きている「つながりの希薄化」という課題に対して、新しい視座を提供してくれると感じています。
松井: その観察は興味深いですね。道元の「現成公案」でも、制限された空間での実践が、かえって無限の深みをもたらすという逆説が語られています。コミュニケーション・チャネルを意図的に限定する期間を設けることで、より本質的な対話を促す。これは西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」という概念とも響き合うのですが、同時に最新のチーム・トポロジーの理論とも整合性があります。
# 第4部:内観法の深部が、存在の意義を知らせ、人的資本経営から新たな社会を創る
Miyuki: なるほど。内観法での体験とも通じますね。実は3日間の中で、外部とのコミュニケーションが制限されることで、逆説的に「つながり」の本質への理解が深まっていく。この知見は、今私が担当している組織のピープルアナリティクスにも活かせそうです。特に注目しているのは、「関係性のデータ」の質的な違いです。通常のエンゲージメント調査やネットワーク分析では捉えきれない、関係性の深度や質があると気づきました。内観法では「してもらったこと」を振り返る中で、一見ネガティブに見えた関係性が、実は重要な学びの源泉だったと理解が変わっていく。こういった「解釈の変容」は、現在のデータ分析手法では十分に捉えられていないと感じています。
松井: 興味深いですね。人的資本経営の特にリスキリングやマネジメントにおいて「暗黙知」をどう伝えるか、どう捉えるかは大きな課題です。タオイズムでいう「道」の伝達に近い。特に、AIが台頭する中で、人間固有の直観的理解の価値が再評価されていますよね。具体的に、内観法の経験から得られた示唆はありますか?
Miyuki: そうですね。実は内観法での体験を通じて、私たちが追求してきた「人的資本経営」の本質についても、新たな視座を得た気がします。個人の成長と組織の発展は、単なる因果関係ではなく、より深い次元で響き合っている。これは私が関わっている複数のグローバル企業での変革プロジェクトにも、根本的な示唆を与えてくれそうです。
松井: まさにその点ですね。私も最近、ESG経営や人的資本経営の本質を考える中で、東洋思想が示唆する「個と全体の不可分性」という視点が重要だと感じています。これは単なる理念的な話ではなく、まさに実践的な経営課題として現れてきている。
Miyuki: そう感じます。例えば、今、多くの企業が直面している「パーパス経営」の課題も、実は個人の内的動機と組織の存在意義を、より深いレベルで結びつける試みとして理解できるのではないでしょうか。内観法での体験は、その「結びつき」の質についての重要な示唆を与えてくれました。
松井: その指摘は重要ですね。実は私は、現代社会が直面している様々な課題 - 環境問題、格差、テクノロジーの影響など - も、結局は「存在の理解」という根本的な問いに帰着すると考えています。その意味で、「人的資本経営」という概念自体も、より深い次元で捉え直す必要があるのかもしれません。
Miyuki: まさにその通りですね。今、企業に求められているのは、単なる経済的価値の追求を超えた、より包括的な価値創造のあり方なのだと思います。内観法での体験は、個人の深い気づきが、実は組織や社会全体の変容にもつながり得るという可能性を示してくれました。
松井: そうですね。禅でいう「一即一切、一切即一」という洞察は、実は現代の経営課題にも重要な示唆を与えてくれます。個人の内的変容と組織の変革、さらには社会全体の持続可能性は、実は不可分に結びついている。
Miyuki: その文脈で考えると、人的資本経営の本質的な役割は、おそらく「分断を超えた統合」にあるのではないでしょうか。私性と公共性、効率性と持続可能性、テクノロジーと人間性...。これらの二項対立を超えた、新しい価値創造の形が求められている。
松井: その統合的なビジョンこそが、これからの時代に求められる「叡智」なのかもしれません。単なるスキルや知識の集積ではなく、より深い次元での理解と実践。それは東洋の伝統的な智慧と、現代の経営知が出会う地点でもある。
Miyuki: はい。そして、そのような統合的な理解に基づく実践こそが、現代社会が直面している様々な課題 - 環境問題、格差、働き方の変革など - に対する本質的な解決につながるのではないでしょうか。
松井: その意味で、私たちが追求すべき「人的資本経営」とは、単なる人材マネジメントの高度化ではなく、人間と組織、そして社会全体の持続的な共進化を促す「場」、大いなる統合的な、内観法の中で得られた成熟が満ち満ちる場を創ることなのかもしれません。
Miyuki: そうですね。それは壮大な挑戦ですが、同時に避けては通れない道筋でもある。一人一人の内的な気づきと成長が、組織の変容を通じて社会全体の進化へとつながっていく。そんな可能性を、この対話を通じて改めて感じています。個人の体験から組織の変革、そして社会全体のビジョンへと、内観法における沈潜は大きな気づきを与えてくれました。ここから、私たちから、この新しい社会の現われを促していきましょう。