生きる意味を考える
皆さんは自分自身が生きる意味、価値、
または生きる資格があるのかどうかについて
考えたことはありますか。
私の実体験では、
「生きる価値は皆、平等にある」
と考えていると述べる人もいれば、
「生きる意味なんて皆、生まれたときからない」
と訴えかける人の話を聞いてきました。
今を生きる人皆さんが落ち込んだとき、
ふと思ってしまう死にたい気持ち。
鬱病で苦しむ人に伝えたい意見を
私なりに記事にまとめてみましたので、
少しでも、騙されたと思って読んで頂ければ
それだけで嬉しいです。
-----------------------------------------------
生きるって漢字、横に3本、線があります。
あの3本の線はなんだか知ってますか。
春、3月3日、皆さん食べるお菓子があります。
ひし餅です。あの色を覚えてますか。
白、桃色、そして緑です。
これは、雪の色、新芽の色、花の色なんです。
そして、斜めにある棒は春の明るい光、
真ん中にあるあの1本の棒は、
その太陽の光に当たって新芽が張る姿なんです。
目の前のことをしっかりと見つめる。
今できることをしっかり見つめる。
例えば、目の前にたまった洗濯物を洗濯する。
ご家族の方にお酒をやめたらどうですか
って言われたら、家族の方に感謝をする。
今、できることをしっかりと今、
見つめていくということが大事だと思います。
むしろ生きる意味はその先にはっきりと
見えてくると私は思います。
今を精いっぱい生きる。
これが生かされてる私たちのこの目的なんです。
そして精いっぱい供養してください。
『供養』って何か。
この体が終わったときに
必ず大切な人とまた会えます。
もう1回会ったときにどんな顔で会いたいか、
どんなお土産持っていきたいか、
どんなことしゃべりたいか。
そのために生きる、皆さんの生き様、
付ける足跡が供養なんです。
人間は落ち込んでみないと
生きる意味というのは見いだせないんです。
あの人のために頑張ったのに、親のために、
子供のために、好きな人のために尽くしたのに
何この結果って思うことありますよね。
人の為と書いて、『偽』りと読みます。
でも人生はその人のものです。
まずはこれを、次にはあれを、
と幸せを求めて生きているのが私たちですが、
その時その時、求めている幸せは
「生きてる意味」とはいえず、
趣味・生き甲斐といわれるのです。
だから誰かの役に立っていないからと言って
生きる資格がないというわけでは
ないと思います。
目的なんてどうでもいいんです。
必ず皆さんの足元、その生きる意味はあります。
生かされてるんです。
死ぬまで、必ず死ぬんだから、そのときに、
ああ、良かったなって思えるように、
精いっぱい、精いっぱい、地に足を付けて、
足跡たくさん付けて、精いっぱい生きることが
大切だと思います。
-----------------------------------------------
これはあくまでも個人的な意見です。
私も最近よく思うことがあるので執筆しました。
しかし、私は決して誰かを救えると思って
書いているのではいません。
もし、この記事をたまたま見つけて読んで、
救われたと感じたとしても、それは
この記事を読むことを決心した皆さんこそが
自分を救った結果だと思うからです。
明日を生きるために、今、出来ることを
精一杯頑張りましょう。