『二択』
私の人生において『二択』は救いだ。
私が行き詰った時、悩む時、きつい時『二択』が役立ったり、
窮地を抜ける鍵になってきた。
私が『二択』をどのように考えているかお伝えしたい。
考え①:私の『二択』理論
例えば、罹患したとしよう。
そして、その病気は統計的に5年生存率90%だとする。
この場合、5年経過後10人に9人の高確率で
生きていられるから治療頑張ろうと思う方が
多いのではないだろうか。
しかし
私は『生きる』か『死ぬ』かの二択。確率は50%と考える。
そして、生きるために治療を頑張ろうと思う。
統計的には、10人に9人は生き、10人に1人は死ぬ。
確率的には高確率で生きることができる。
しかし、これは統計のデータとして成り立つような
大きな分母あっての値である。
いわゆるマクロの視点からの考えである。
しかし
一当事者の私はこの分母の中の生きる方か死ぬ方
どちらかはわからない。
生きるか死ぬの確率は1/2の50%と考えられる。
ミクロの視点から考えるといつも確率50%なのだ。
これは、生存率が70%だろうが30%だろうが
ミクロの視点からすれば、いつも50%
というのが私の考えだ。
つまり、いつも『二択』。
「生きる」か「死ぬ」か
「やるか」か「やらない」か
私の中ではいつでも『二択』いつでも50:50。
考え②:私が『二択』選ぶ理由
『二択』の場合、確率は1/2で50:50ある。
一番予測しにくい状態であり、運任せになるところだ。
たぶん自分は、こんな状況が好きなのだ。
悪く言えば、尻に火がつかないと力が出ない。
よく言えば、追い込まれてからが本領発揮する。
みたいなところがあるんだと思う。
まったく酔狂なことだ。
怖がりで臆病なくせになぜか、
花の蜜のに吸い寄せられる蝶のように
いつも『二択』に身を投じる。
考え③:私が思う『二択』のメリット
私が思う『二択』のメリットとしては、次の通り。
1 覚悟が決まる。
2 今が最善と思える。
1つ目の「覚悟が決まる。」は説明するまでもなく、
『二択』なので覚悟や腹を決めないと先に進めない。
『二択』に身を投じていると自然とそうなる。
2つ目の「今が最善と思える。」は、
覚悟が決まるから今が最善と思うことが
原動力になり支えになる。
選択時に、はたからみてその選択が間違いだと思われても
自分の人生死んだ時点では間違いではないかもしれない。
と思って私は突き進む。
ある意味、迷いがなくなる。
おわりに
これまで、勝手な持論を展開してきた。
当然同意を得られないこともあるだろうし、
極端だと非難されることもあるだろう。
しかし、
私が就職したとき、退職したとき、転職したとき、
体調を壊し仕事から離脱したとき、
妻がガンを患ったとき、
育児休業を取得することを決意したとき、
生まれたばかりのこどもがガンを患ったとき、
この『二択』の考えが私をささえ、突き動かしてきた。
スーパーマリオのスターみたいに
『二択』が私を無敵状態にしているのかもしれない。