文字を持たなかった昭和 百十三(自分の意見も)
「百十二(選挙)」に補足する。
このお話の舞台になっている地方の農村に限らず、戦後それほど経過していない頃の多くの庶民は、もともと幅広い選択肢や情報をもとに自分で考える教育や訓練を受けていなかったはずだ。
もちろん都市で高等教育を受けられたような階層や、地方であっても都市に出て、あるいは地方の最高レベルの教育を受けられた人たちもいただろう。だが、人口の圧倒的多数を占めた農村の、教育レベルがそれほど高くなかった人びとは、家庭や社会(地域)の中での役割を果たすことが優先され、自分の考えを述べたり、自分の願望を優先したりすることは、そもそも必要とされなかっただろう。
とくに女性においては。
その結果として、母ミヨ子の行動も「百十二(選挙)」で書いたようなものになっていく。
しかし、ミヨ子が何も考えずに夫(二夫)や地域の有力者のいうがままに従っていた、というわけではなかったと思う。
「保守王国」鹿児島でも日本共産党はしっかり活動しており、国政から町政まで、選挙のときは候補者を出して政見を訴えていた。たしか町議会選挙のときだったが、候補者の女性が、現行の町政は町民からわかりづらいと指摘し「ガラス張りの町政を実現したい」と訴えていて、その耳慣れないフレーズは子供だったわたしの耳にも残った。
「保守王国」において共産党は一種の異端である。そして、昭和一桁生まれのミヨ子たちの世代にとって共産党は治安を乱す「怖い組織」だと刷り込まれてもいた。
しかしあるとき、ミヨ子が誰にともなく「ガラス張りの政治って、いいことを言うよね」とぽつりと言った。夫の二夫はおらず、わたしと二人だけだったかもしれない。そのときは深く考えなかったが、ミヨ子なりの感性で政治の話も受け止めていたのではないだろうか。
もし正面切って「共産党のいうこともいいと思う?」と訊いたら、「そういう意味じゃないけど」と答えたかもしれないし、そもそも子供のわたしは、政治について親と語り合うほどの知識も意見は持ち合わせてはいなかった。
ただ「ガラス張りの政治って、いいことを言うよね」と語った一言がずっと忘れられずにいる。