ひとやすみ(家族形態における薩摩の特殊性――『老人支配国家 日本の危機』より)

 最近読んだ本に鹿児島の家族形態に関する記述があったので書き留めておきたい。「文字を持たなかった昭和」とも、どこかで繋がるかもしれず。

 『老人支配国家 日本の危機』(エマニュエル・トッド著、文春新書、2021年11月20日第1刷)に、フランスの歴史人口学者・家族人類学者である著者と、歴史研究家の磯田道史氏との対談が掲載されている。〈88〉

 対談のテーマである「直系家族病」の背景、原因と対処法(があるのかどうか)は本書に譲るとして、直系(男性長子による相続を中心とする血縁関係)を尊重し強化してきた日本の歴史にあって、薩摩藩および西南日本はこれと異なる制度を有していた、と磯田氏が指摘しているのだ。直系家族制度により発展、維持されてきた江戸の幕藩体制が時代に対応できなくなったとき、薩摩藩は重要な役割を果たしたが、藩の「特異な家族形態」が影響したのではないか、とも。

 磯田氏は古文書調査のため各地に残る宗門人別帳など調べた際、薩摩藩の内陸部では「衝撃的なことが書かれて」おり、ふつうは禄を一人に対して支給するところ「兄弟三人に対して一つの禄が与えられていた」、つまり薩摩では兄弟やいとこといった男の横の関係性が重視されていた、という。

 また、調査のため半月ほど鹿児島に滞在した際、地元の男性たちが兄弟やいとこどうしで焼酎を酌み交わす姿を頻繁に見た経験を「現代日本の他の地域と比べると、かなり奇異というか、珍しい光景」だと振り返っている。

 江戸時代の武士は自分の領地に行ったこともないのが普通であることに比べ、薩摩では家臣が農村に住むという、まるで「鎌倉時代のような中世的な在り方」だった。磯田氏は「あくまで仮説」と断ったうえで、薩摩は中世の家族システムが残っているのではないか、とする。

 組織を守り続けた幕末までの直系家族社会的を‟破壊”する役割を担ったのは、薩摩、佐賀、長州、土佐など、中世的様相を残していた西南日本から生まれた革新的エネルギーだったとし、例として薩摩の「泣こよか、ひっ跳べ*」という言い方を挙げている。幕藩側の会津では「ならぬことはならぬのです」と、既存の規範をある意味無批判に遵守したことの対照的な例として。

 そして「鹿児島には、ドラスティックな変化を求めるエスニシティが伝統的に存在するような気がして」ならない、とも述べている。

 対するトッド氏は、次のように述べる。

 家族制度は言語と同様に中央から周縁部へ伝播し保存される。直系家族システムは核家族の進化形態なので、もっと古い家族形態の残滓が周縁部に残っているのかもしれない。日本の社会が固定化したとき、原初的でアルカイックな薩摩(風)の人たちが、無秩序あるいはフレキシビリティを発揮するのではないか。日本人は規律と礼儀を重んじるが、同時に柔軟で奔放な面も併せ持っている。

 ―――島津氏によって中世から残され(拡大再生産され?)た薩摩の気風が、硬直した社会制度を破壊するほどのエネルギーを生んでいたとしたら、かの地で生まれ育った者として誇らしいし、現代のまさに硬直し沈滞した社会を改革する突破口を、薩摩の流れを汲む人たちが作ることをも期待したい。

〈88〉同書 IV「家族」という日本の病 10「直系家族病」としての少子化 に記載(同書の原題:日本の人口減少は「直系家族病」だ/初出『文藝春秋』2016年2月号)

*鹿児島弁「泣こかい、跳ぼかい、泣こよか、ひっ跳べ」(泣こうか、跳ぼうか、泣くより跳んでしまえ)
 段差のある場所を下りるときや川を渡るときなど、「ぐずぐずしてないで、思い切って跳んでしまえ」と声がけするのに使う。転じて、迷っていないで思い切ってやってみる(やってみよ)、という意味で使う。
 わたしが子供のときも大人や年上の子供たちからそう励まされたものだった。

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