母は精神疾患でした【詳細版】➃|母を心から憎んだ中学生時代
■母への憎悪が限界突破した出来事
過激なタイトルで申し訳ありません。
以下、閲覧注意です。
その日は、母の様子がいつもに増しておかしい日でした。
家の中を歩き回っているなーと思いきや、リビングに立ち尽くして無言で一点を見つめていたり、何かごそごそ怪しい動きをしていたり・・
とにかく行動がおかしかったのです。
私は母の様子を観察しました。
なにやら、キッチンにある棚のあたりをしきりに気にしていました。
私は、母が棚から離れた隙に、その棚の中を確認しました。
中には、精神薬が大量にストックしてありました。
「あぁ・・またオーバードーズ(薬を過剰服用すること)して自殺図ろうとしてるな・・」と察した私はすぐにそれを隠しました。
(今までに何回もあったからです)
母はすぐに薬がなくなったことに気が付きました。
「ここにあった薬どこやってん!!!」
母は叫びました。
私が知らないふりをして、「知らない」というと
母は何かぶつぶつ言いながら、しばらくそこに立ち尽くしていました。
私は、次に母が何をするかわからないので、母の近くに立って母を監視していたところ・・
母が急に激しい動きで、いきなりキッチンにある包丁に手を伸ばしました。
「やばい!包丁で自分のことを刺すんだ!!」と思った私は、瞬時にその腕をつかみ、必死に包丁から母を遠ざけました。
「もう死なせてよぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
大絶叫し、必死に包丁に手を伸ばす母。
力づくでも何とか包丁から母を遠ざけようとする私。
まだ、ここで落ち着いてくれた良かったのですが、母は私に全力で抵抗してきました。
お互いに服を掴み、腕をひっぱり・・・
キッチンにとどまらず、リビングにまで拡大する大乱闘になりました。
母と、もみくちゃになっている最中、私の中で何かが崩れました。
それは、母に対してかすかに残っていた「自殺しないでほしい」「治ってほしい」という母を想う気持ちです。
当時の母は、自己中心的で病気を盾に好き放題していたという背景もあり、
この乱闘中「お前さえいなくなれば」という母に対する憎悪が一気に私を満たしました。
「もう、殺そう」
乱闘中、本気でそう思ったのを覚えてます。
本当に限界でした。
私は感情に任せ
「お前のせいでな・・こっちがどんだけ迷惑してると思ってるねん!!!!!!!!!」
と声を荒げ、暴れる母の胸ぐらをつかみ、無理やり地面へねじふせ、母に馬乗りになりました。
ここで、私は母を殴りつけようが、首をしめようが何でもできました。
そんな私を我に返らせたのは、リビングの隅で妹がすすり泣く声でした。
感情が落ちついてくると、過呼吸かと思うほど息が荒くなり、今までにないくらい心拍数が上がっている自分を感じました。
母を解放したあとのことはあまり覚えていません。
もし妹がいなかったら…と考えると今でもぞっとします。
■学校生活
こんな状況だったので学校に行きたくなかったです。
特に母が大暴れした次の日は、行く気力もありませんでした。
しかし私は、意地と気合で毎日学校に行ってました。
私が学校を休めば、父にさらなる心労をかけると思ったのです。
学校にいっても自分から家庭のことを言うことは、あまりありませんでした。
先生から事情を聞かれても、「大丈夫です」と平気な顔をしていました。
一度、仲のいい友人に打ち明けてみたことがありますが
「そうなんだ・・・」と当然ながら返答に困らせてしまい、
「人にはもう言わないでおこう」と心に誓ったのを覚えています。
そのため、1人で全てを抱えていました。
身も心も極限状態で、消えたいと思いました。
そんな状態でも、平然と学校に行き、友人と談笑し、部活をし、家に帰って母の対応をし、家事をし、勉強していました私は、どこかおかしくなっていたんだと思います。
そして、私は高校生に進学しました。
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