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三宅ノート6

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2016年5月の記事一覧

作るものは矛盾に満ち

作るものは矛盾に満ち、

作品の中に矛盾を反映し、

作品の中で矛盾から調和へ至る。

それが作品にカタルシスを与える。

より大きな矛盾を登って行くのは、作るものと、政治家に共通している。

夕暮れがこんなにせつないのは

夕暮れがこんなにせつないのは

夕暮れがこんなにせつないのは、

果たせなかった思いが夜に包まれて行くから。

夏の終わりがせつないのは、

果たされなかった思いが秋に包まれるから。

そうやって人は満たされなかった思いを、

空と季節につないで生きていく。

エンターテイメント・コンテンツの原理

エンターテイメント・コンテンツのこれからの原理は、

ユーザのプロファイルによるリコメンド

と、

そのコンテンツを好きな人、知らない人に共有できる仕組み、

である。

好きな人が少ないコンテンツほど、同じものを好きな人と話すのは嬉しい、さらに、

知らない人に向けて共有することに熱心になる、

これがコンテンツの広がりの原理である。

五感と運動の同期

人は二本の足があるから歩けるわけではない。

歩くと同時に移り変わる風景を、
運動と同期させることができるから、

歩けるのだ。

視覚と運動が同期して初めて、
まともに歩くことができる。

矛盾と調和と。

人は矛盾の中でものを作る。

なぜならものを作ることは、

矛盾から調和へ至る運動であるから。

ただその矛盾も調和も人間のためのものではない。

人は整合性の中で物事を識る。

なぜならものを識ることは、

調和から矛盾へ帰る出発点であるから。

ただその調和も矛盾も人間のものである。

脱出ゲームと人工知能。

「チェス、将棋、囲碁、人狼と来て、次のAIはどこにフォーカスするんですかね、三宅さん」
「脱出ゲームだよ」
「は?」
「脱出ゲームを自動的に解くAIだよ!」
「さすがにそれは無理なんじゃ。。。」
「最初はどのゲームでも無理だと言われた!」
「はあ。つまり、それはロボットですよね」
「そうだ。脱出ゲームなんだから、クッションとか、ツボとか、ひっくり返してヒントを集めるんだ」
「無理でしょ」
「なんで

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時空の平面とその上のステップ。

深ければいいわけでも、
細ければいいわけでもない。

時空の平面に向けて、
どのようなステップのサイズで、
どのような時間スケールで、

行動を組み上げるか、
行動を生成するか、という多様性こそが、

知性の高い基準であり、
人間を生きることの深みなのだ。

物語の深さ。

物語は、いつ深さを持ち始めるか?

それは人為的な力ではなく、

自然とぐっと深くなる瞬間がある。

人の人生のように。

その深化の瞬間を積み重ねて、

物語は価値を持ち始める。

現実とは。

現実の対義語を追ってみる。

僕の子供の頃(昭和)では、

現実と理想であり、

次の世代では、

現実と夢であり、

さらに、

現実とネットであり、

今は、

現実と仮想である。

かつて、現実と対峙していたものは、現実に取り込まれ、発展するアウフヘーベンのように、新しい対立を生み出す。

本当の現実は自と他の境界にしかない。

メディアは人をまず

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萌芽。

具体的に何をすればいいのか?
時空平面のベクトルの形成。
行動ならずも、
行動の雛型は掌中にあり。

私は問う。
時空を超えたベクトルの形成。
知識にたどり着けるかはわからないが、
知識の雛型は掌中にあり。

全知と全能

すべてを知ろうとする者は深さを持ち、

すべてを創造せんとする者は力を持つ。

それでも、この世界で人間は、

僅かなものを知り、僅かなものを作るに過ぎない。

それでも、小さな人間にとっては大きな進化なんだ。

再生可能なように。

ソフトウェアに限らず、あらゆる創作は、
それが人間の身体のように、植物のように、
軽いものから重たいものに向かって、
それが再生可能なように、作られねばならない。

現代アニメーション考

ヤマトも、マクロスも、999も、ガンダムも、

大きなシステムの崩壊を描く。

80年代にはそこにリアリティがあり、

カウンターカルチャーとしてのアニメーションと、
若者文化が同期していた。

今、アニメでSFをやろうしても、
事情はまるで違う。

アニメーションはある程度、ビジネスモデルを確立し、また、受け入れられた文化でさえある。皮肉なことに受け入れるきっかけは、ヤマトや

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