現代アニメーション考

ヤマトも、マクロスも、999も、ガンダムも、

大きなシステムの崩壊を描く。

80年代にはそこにリアリティがあり、

カウンターカルチャーとしてのアニメーションと、
若者文化が同期していた。

今、アニメでSFをやろうしても、
事情はまるで違う。

アニメーションはある程度、ビジネスモデルを確立し、また、受け入れられた文化でさえある。皮肉なことに受け入れるきっかけは、ヤマトやガンダムが作ったのだ。

アニメーションは歴史の流れではなく、
今の状況を作品の中で捕まえねばならず、

シドニアも進撃の巨人も、
閉塞からの打破を描いている。

大人は、壊れた日常の代替に日常系アニメを、
若者は、退屈で先の見えない日常の向こうにファンタジーを求める。

90年代以降のSFアニメは、

80年代のSFアニメがオリジナルに持っていたリアリティを仮想化した。

そこには既に現実との絆に、前提となる様式があり、その上に作品が築かれている。

00年代のアニメは、バブル以降の冷たい空洞の時代を経て、もう一度新しい作品を模索しようとした。

主人公は完全に冷えきったクールガイであり、
ヒロインはたくましい。

ひどく何かが失われた後の物語。
エヴァも、カウボーイビバップも、
蒼穹のファフナーも、
ゼーガペインも、
シドニアも、進撃も、根本的には
虚無を経た後の物語なのだ。

だか、たどり着く場所も、
新しいビジョンもなく、

物語は極めて個人的なものになり、
大仕掛けを用意しても最後は個人の物語になるエヴァは、その典型であり、

どこにも行けないなら、
最初から最後まで学校か家にいる。

95年以降に生まれた世代は、
不安定な世界に生きており、

冷たく不安定な世界の中で、
異世界ファンタジーの、それなりに暖かい、
はっきりと方向付けられた世界にリアリティを求める。

化物語が描くのは、

日常のすぐ横にある風穴であり、

何が遠くに、14万八千光年の向こうではなく、
自分の住む街の中に怪異がそこにある。

その風穴を通して、穢れた日常が、新しく再生する
のを描く。

物語のリアリティを、
キャラクターに偏重させねばならない

現代のアニメーションは、
キャラクターを切り捨ててまで物語が進んで行く従来のアニメーションと違って、

世界全体の情勢にキャラクターが結ばれ、
またキャラクターもまた世界の情勢に参加する。

碇シンジは人類補完計画の贄とされ、
シドニアの騎士は待望の仕掛けられた騎士であり、
オルフェンズはガンダムの歴史と交錯し、
亜人は世界から追われる、

背負わされ過ぎのキャラクターに疲れて、
裏のないキャラクターたちを配置して、

のびのびとした日常を描く。

ガンダム サンダーボルトは、ユニコーン以上に、大人向けのガンダムであり、

大人向けガンダムという意味は、ファーストを小学生とか、中学生で見た世代が、この20年で世間に出て経てきた辛酸を物語の中に組み込むということである。

殆ど解決も救いのない人物や状況が連続する。それが、30年を経て回帰する現代のガンダムリアリティの姿なのである。

では、マクロスもガンダムも、ヤマトも、
喪失の後の物語であったもの、

それは戦争であり、
そしてシステムの崩壊とは、

戦後システムの崩壊、
権威主義、巨大主義への反抗だった。

しかし実際に、その権威を倒したのは、
反抗ではなく、バブルの崩壊に代表される
経済変動だった。

であるから、それ以降のSFアニメの敵は、
変動するシステムか、それを使いこなすか敵なのだ。

それゆえに、2000年以降のアニメの主人公は、
そういった世界の変動を利用し得る、
知的な主人公を添えるようになる。

蒼穹のファフナーのそうし、
ゼーガペインのキョウ、
コードギアスのルルーシュ、など。

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