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三宅ノート3

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2015年8月の記事一覧

言語の森

言語ならぬものを言語とし、

言語の森で迷いを抜け、

言語から言語ならぬものへ自らを変え消滅する。

私は言語の森を抜ける一者であり、

私は言語の森を抜ける一者ではない。

私は言語の森を通るすべての者であり、

私は言語の森に深く刻まれた軌跡でもある。

朝の闇の中を抜けて、その地面の胎動を感じ、

世界と自己の境界に立って、せいいっぱい背伸びをする。

天からの恩恵をまず自分という器で受ける

「他人を幸せにするには、自分も幸せでなければなりません。」

「では、私には無理なのです。

 どうして、自分も幸せでなければなりませんか?」

「天からの恩恵をまず自分という器で受ける必要があります。

 それを人に分け与える」

「自分には残さなくていい?」

「すべて与えさない。あなたの愛する人と、あたなの敵に。」

「敵に?」

「それは人をつなぐ力でもあるのです。自分を超えて」

「では

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CEDEC2006-2015 講演履歴

CEDEC での講演も10年目となります。そこで、これまでの講演の履歴をまとめてみました。

CEDEC 2006 「クロムハウンズにおける人工知能開発から見るゲームAIの展望」

http://cedec.cesa.or.jp/2006/_sessi...

http://www.famitsu.com/game/news/20...

CEDEC 2007 「エージェント・アーキテクチャーから

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カクテルのように

フッサール現象学は分割しえない体験というものから出発する。

ゲームとは体験である。つまりゲームを現象学から語る必要がある。

「私たちは、一緒にモンパルナス通りの〈ベック・ド・ガズ〉で一夕を過ごした。私たちはこの店のおすすめである杏のカクテルを注文した。アロンは彼のグラスを指さしながら、『ねえ君、君が現象学者ならば、このカクテルについて語ることができ、しかもそれは哲学なのだ』と言った。サルトルは

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時間はひとのために

時間がないということは、過程を選べないということだ。目的のために、本来傷つける必要のない人を傷つける道しか、選べないかもしれない。

時間があるということは、それだけ過程を選べるということだ。それは本来、傷つけなくていい人を、傷つけない、正しい道を選べるということだ。

余裕は自分のためではなく、人のために持つべきものだ。
自分のことしか考えない人間だけが、ぎりぎりのスケジュールで物事を運

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時間がない/時間をつくる

時間がないということは、過程を選べないということだ。目的のために、本来傷つける必要のない人を傷つける道しか、選べないかもしれない。

時間があるということは、それだけ過程を選べるということだ。それは本来、傷つけなくていい人を、傷つけない、正しい道を選べるということだ。

余裕は自分のためではなく、人のために持つべきものだ。

自分のことしか考えない人間だけが、ぎりぎりのスケジュールで物事を運ぶ。

999 to エヴァンゲリオン

エヴァンゲリオンが見せる最後の空はきっと、

思春期の暗闇を超えて見上げた初めの空、

そして、同時に大人の世界の厳しさが見える空だろう。

エヴァはある意味で銀河鉄道999と似ている。

あの時代には、999は哲郎の青春とメーテルだった。

哲郎の青春時代が過去への決着と新しい憧れとそのための戦いだった。

エヴァの時代は逆に第三東京都市から出られない青春だった。

シンジは綾波と共にその暗闇を

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