いつも居場所でいてくれた
「剣道部はぼっちの集まりだから」
「うちの部はとにかく人がいいから絶対に大丈夫」
剣道部の人びとのことを考える時、ふたつの言葉を思い出す。
ひとつめは、私が1年生の時の新歓で4つ上の先輩がにこにこと言っていた言葉。
ふたつめは、私が3年生、幹部の年の新歓の時期、誰も入ってくれなかったらどうしよう…と不安でしかたなかった時に、2つ上の先輩にふわりと言われた言葉。
もちろん、ひとつの部の中にもいろいろな人がいる。むしろひとりひとり全然違う。◯◯部の人はこう、ということなんてできない。
でも、いつもこのふたつの言葉を思い出しては、そうだなぁ、たしかになぁ、とうなずく。
剣道そのものが自分自身と向き合い続ける必要があるからだろうか。
剣道部の人びとはひとりを恐れず、ひとりを大切にできる人たちだったように感じる。
その一方で、1つ下の後輩が中高で教わったとずっと大切にしている言葉だが
「剣道はひとりではできない」。
相手がいなければ稽古は成り立たない。
そして老若男女、どんな人同士でも同じ場所で、互いの大切な「相手」になることができる。
そうした特性も反映していたのかどうか、よくわからないが、剣道部はいろいろな人が「ぼっち」でありつつ、お互いを大事にして共に生きている場所だったように思う。
国籍や性別や年齢が違っても、経験者でも初心者でも、人と関わるのが得意でも苦手でも、学校の勉強ができてもできなくても、剣道に一生懸命でさえあれば、みんな仲間、という雰囲気があった。
入部した頃の私は、とにかく内気で臆病で、新しい場所が不安で、人の顔色を窺ってばかりだった。
どうすれば部のいい一員になれる?どう振る舞えばかわいがってもらえる?
今思えば、そんなことに悩む必要はなかった。先輩たちは全部わかっていて、全て含めて私をかわいがってくれた。
すぐ泣く私に「泣くな」と言う先輩はいなかった。「さかえは泣き虫だなぁ」と笑い、「悔し涙の分だけ強くなるからがんばれ」と言ってくださった。
自分も先輩という立場になり、もう6年が経つ。よい先輩だっただろうか、あまり自信はない。
でも、自分がしてもらったのと同じように、どんな後輩もめいっぱい愛したい、とはいつも思っていた。
年下の人も基本的にちゃん付け・くん付けで呼ぶ私が、部活の後輩だけ呼びすてにする時、そこには、自分はこの子に責任がある、という気持ちをひそかに込めていた。
私たちが誘って部に入ってくれたこの子が、いつも安心してここにいられるように。この子の部活人生が、幸せなものになるように。
そんな気持ちに気づいていたかはわからないが、後輩たちは、頼りがいがあるとは言えない私を慕ってくれた。久しぶりに稽古に行っても、いつでも笑顔で迎えてくれた。「みやこ先輩大好き」と言ってくれる子がたくさんいた。
きっと、私の方がたくさん幸せにしてもらっていた。
1週間ほど前、剣道部の追い出し稽古・コンパがあった。何人もの卒業生がこう口にした。
「剣道部が私の居場所だった」
私の前に話した、1つ下の後輩はこう言った。
「自分はこれまで人と一緒に何かをがんばったことがなかった。剣道部に入って人生が始まったような気がした」
1年生の頃、物静かで人と積極的に関わるタイプではなかった彼。初心者から剣道を始め、2年足らずで主将を任され、毎日悩みながら、必死にがんばっていた。上級生になっても最後の1年まで稽古に通い続けた。今では後輩たち皆が彼を尊敬し、慕い、卒業を寂しがっている。
話すことがすごく得意なわけではなさそうな彼が、短い言葉の中に込めた6年分の思いを感じた。
そうだね、剣道部ってそういう場所だったよね。どんな自分も受け入れてもらってる気がしたよね。だからがんばれたよね。卒業までずっと関わりたいなと思ったよね。部の仲間が本当に大切だったよね。
自分の挨拶の前なのに思わず目頭が熱くなりそうになったのを隠し、いいこと言うじゃん!とちょっとふざけて笑ってみせて(こういう時に真面目になれないのが私のよくないところだ)、彼と交代して挨拶の場に立った。
さて、何を言おうか…スピーチは苦手だ。でも、大丈夫。剣道部はもうとっくにそんなこと知っている。話すのが苦手で、緊張しいで、臆病で、なかなか強くなれない私を、ずっとそのまんま受け入れてくれてきた。そうでしょう?
みんな言っていたけれど、でもやっぱりこの言葉は外せないだろうな。
私はゆっくり口を開いた。
「剣道部は、7年間、ずっと私の居場所でい続けてくれました」
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