非効率について考えている
2024年1月半ば、石垣島でゆいまーる沖縄の鈴木さんと本原畳店の本原さんと夕食を共にした際、会話が過度な資本主義に関することに及んでいくなかで鈴木さんが「経済学では説明できないような働き方もあるのではないか」というような表現をされていた。
その後の大阪出張の際に寄り道したウォールズ&ブリッジでは塩田さんが超効率的な商い(例えばAmazonのような巨大資本)に対して街場の店としては逆に「非効率的な商いの仕方があるのではないか」と話されていた。
そして偶然、同じ頃に朝日新聞のポッドキャストを聴いていると列車の待ち時間や会計時の接客時間に関する話題があった。
効率化、それに伴う利潤を追求するなら時間は切り詰めるだけ切り詰めて回転数をあげるほうが良い。でもそんなにセカセカした先に心身的には何が待っているのだろう。過去の列車事故に言及されていた際にはっとした。
ぼくの心身不調の原因はきっとこれだ。
2020年以降、一時的にすべてがオンラインで完結していた頃は移動時間が無い分を仕事に充てていた。でも今、移動や対面を伴う仕事がほぼ元に戻りつつあるのに、禍中の量を据え置いたままプラスでそれらを上乗せしていたら……そりゃ、慢性的な心身不調をきたすだろう。
フリーランスたるもの売上があればあるほどいいにこしたことはないが、今のように詰め込みまくるやりかたは長い目で見たら破綻するような気がするので、効率化ばかり追い求めないでないで非効率というかほどほどというか、自分というコップの表面張力一杯までではなく…多少揺さぶられてもこぼれない程度に調整しながら働いていこう。非効率というゆとり。