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黄色いドレス。(4)

それ以来どうしたことか、ヨシダさんの店には、また少しずつ注文が入るようになっていきました。息子さんの就職がきまったので、スーツを仕立てたいという人もいれば、お母さんの形見の布地で、記念の服を作りたいという人もいました。それぞれの人が、自分のイメージする服をもとめて、ヨシダさんのもとを訪ねてやってきました。ヨシダさんはもうすっかり夏の出来事を忘れて、その日にこなせるだけの仕事をていねいにこなしていきました。

ある日仕事をおえたヨシダさんが、かたくなった肩をほぐしながら、ポストをのぞいてみると、一枚のはがきが届いていました。黄色いワンピースを作ってあげた少女からの招待状でした。今度の日曜日にイチョウ並木の公園で、発表会が行われるというのです。ヨシダさんは、
「ふう」
と、ひとつ大きく息をはきました。案内された場所は、ヨシダさんにとっても懐かしい思い出の場所でした。昔、家族でよく出かけた公園だったのです。

日曜日の午後、イチョウ並木の公園はたくさんの人でにぎわっていました。公園には何十本ものイチョウの木が、道の両わきに植えられ、黄色い並木道がながくつづいています。小さな子どもをつれた家族や、若いカップル、犬のさんぽにやってきたおじさん、押し車をおしているおばあさん。この町に住むさまざまな年齢の人たちが、イチョウの木の下でにこやかに空をながめては、思い思いの時間をすごしています。イチョウは、一斉にその葉を黄色く染め上げて、気持ちよさそうに風にゆれています。

ひらひら、ひらひら、
ひらひら、ひらひら

葉っぱが一枚、また一枚と、風にふかれながら舞いおりてきます。まるで踊っているかのようです。ヨシダさんはその様子を、そばにおかれたベンチにすわって静かにながめていました。ふと気づくと、遠くの木のかげから、黄色いドレスを身にまとった少女たちが、次々と走りよってきました。そして公園の真ん中に輪になると、クルリクルリと踊りはじめたのです。天女の舞いとでもいいたいような、この世のものとは思えない美しいうごきでした。

ヨシダさんにとって、それは昔にタイムスリップしたかのような光景でした。ヨシダさんの娘さんは、幼いころからバレエ教室に通っていました。踊るのが大好きで、家の中でもとんだりはねたり、ちっともじっとしてはいない子どもでした。秋になり、家族でこの公園にやってくると、娘さんはきまって、高い木の上からはらはらと落ちてくるイチョウの葉といっしょに踊っているかのように、ヨシダさん夫婦の前で、ダンスをしてみせるのでした。娘さんがまわると、スカートがふわりとひらいて風にゆれるのです。まだ幼かった娘さんの楽しそうな様子と、目の前の妖精たちが舞っている姿が、ヨシダさんの目の前でかさなりました。

少女たちは、ときおりヨシダさんの方をみて、ニッコリとほほえみかけ、またお互いに顔をみあわせ、うれしそうに腕を組んでは、はずむように踊りつづけます。ヨシダさんは言葉を失って、ただ一心に、少女たちのダンスを見守りつづけました。どうやら、周りにいる大勢の人たちの目に、そのすばらしい踊りは見えてはいないようです。彼女たちの姿は、ヨシダさんだけにしか見えてはいないのでした。

(この子たちは、イチョウの葉の妖精だったのか)

ようやく、ヨシダさんには事の次第がみえてきました。少女からカロテノイドという布地の成分の名前を聞いた後、ヨシダさんは、図書館で本をかりて調べてみました。カロテノイドとは植物などに含まれる色素で、イチョウの葉が黄色く色づく時に、葉の表面に出てくる成分なのです。おそらく妖精たちは、葉が緑色をしている夏のあいだに、黄葉する準備をはじめていたのでしょう。

(昔、ここで娘の踊る姿を、彼女たちは見守ってくれていたんだな)

それからもうしばらくたった、晴れた日のことです。その日はお店の定休日でした。ヨシダさんは思い切って、眼科に行きました。以前からヨシダさんは、お医者さんに手術をすすめられていました。手術をすれば、おちてきた視力も回復するだろうといわれていたのです。でもヨシダさんには、決心がつきませんでした。万が一失敗すれば、失明するかもしれない。それにもう、お店はたたんでしまうかもしれない。そうなったら、このままの視力で十分なのです。老眼鏡をかければ、新聞を読むことだってできるからです。

ところが今、ヨシダさんの心の中には、服を手にした時の少女たちの笑顔が、くっきりと焼きついていました。その笑顔は、初めて服を仕立ててやったときの奥さんの笑顔にも、また新しい服を手わたすたびに娘さんが見せた笑顔にも、似ていたのでした。
(わたしの作った服を着て、よろこぶ人たちの笑顔をこれからも見ていたい)

以前は店をたたむことを考えていたヨシダさんは、もう少し仕立屋の仕事をつづけたいと思うようになっていました。自分の手が思うようにうごく間は、服を作りつづけたいという気持ちが強くなってきたのです。
「もうひとがんばり、してみるか」
ヨシダさんは、手術を受けることに決めたのでした。

三週間後、ぶじに手術をおえたヨシダさんは、もう一度公園に行ってみることにしました。視力が回復してくると、世界は前よりすこしだけ、明るさを増しました。光のまぶしさに目を細めながら、ヨシダさんは未来を明るくイメージできるような気がしました。自分にもまだやれることがある、誰かをよろこばせることができる。それは久しぶりに感じる、強くあたたかな気持ちでした。ヨシダさんは、あのイチョウの木の妖精たちにお礼の気持ちを伝えたいと思っていました。

公園の真ん中近くまできたとき、ヨシダさんははっとしました。もうすっかりイチョウの葉はおち、地面にはたくさんの黄色い葉がうす汚れた様子でちらばっていました。そして、並木道にならんだ木が何本か切りたおされていました。作業服をきた男の人が、三人ほどいます。近くにはトラックがとまっていました。

「これは、どうしたのですか?」
「イチョウの木はオスの木とメスの木があるのです。メスの木にだけ銀杏の実がなります。その実のにおいは、あまりよいものではないのです。メスの木を切るように役所からいわれているのです」

ヨシダさんは、七人目の少女の言葉を思い出しました。
「今年の舞台が、いよいよ最後になりそうなんです」

(そうか、あれはメスの木の妖精たちだったのか)
ヨシダさんは、切り倒されたイチョウの木の切り株のそばに、ゆっくりとしゃがむと、心の中で語りかけました。

(ありがとう。さようなら)


(完)




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宮本松
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