#30干し芋のある風景。(再掲)
わたしたちが今住んでいる地域は、干し芋の生産がさかんなところです。実はここに引っ越してくるまで、干し柿や切り干し大根は知っていても、干し芋なるものがあることを知りませんでした。
夏のあいだ、あたりに広がる畑では、さつまいもの葉がいきおいよく茂っていました。さつまいもは生命力が強くて、肥料をあまり与えなくても、ぐんぐん育つそうです。あまりの暑さにしおれそうになっている日もありましたが、ほんの少しの恵みの雨で、すぐに元気を取り戻し、茎を伸ばしつづけていくのです。
市民農園を借りたわたしとテル坊も、今年初めてさつまいもを育ててみました。結果からいいますと、夏を終えたところで大失敗!農薬を使っていなかったために、虫に葉っぱを食いちらかされ、最後の段階で、さつまいもは大きく成長しきれませんでした。(今年、もう一度リベンジできたら、虫対策もきちんと考えておきたいところです)とはいえ、収穫したお芋たちは、テル坊がていねいに三日間ベランダで陰干しし、一個ずつ新聞紙でくるんで、ダンボールの中に収納し、それから一ヶ月半ほど芋の甘みが増すまで寝かすという工程をたどり、年末には美味しいスイートポテトとなって、わたしたち三人の胃袋を満たしてくれました。
秋から冬にかけてのこの時期、農協にいっても、近所のスーパーでも、色あざやかな干し芋が真空パックになって並んでいます。しっとりとしてつやのある、厚みのあるものが美味しいようです。干し芋は、種類によっても味にちがいがあるらしく、店先では、お気に入りの干し芋を、遠くの親戚に大量に送ろうとしている人たちの、長蛇の列ができていました。そんな光景を見かけると、わたし個人は、関西に住んでいた頃、春になると小魚のいかなごを煮ては、知人と送りあっていたころを懐かしく思い出しました。
商品として店頭にならんだ干し芋たちは、それぞれに可愛いロゴつきのシールを貼られて、行儀よくならんでいます。
(この子たち(干し芋のこと)、ちょっと余所行きのカオしてない?)
と、わたしは心の中で思います。さつまいもが天日干しされ、干し芋になっていく、畑の上に並んでいる姿を思い出すからです。農家の人たちが畑に大きなビニールテントを張って、その中に、背の高い干し場をつくり、一枚一枚、ていねいに干し芋たちをならべては、干し芋作りをされているのを、散歩の途中によく見かけるのです。干し芋たちが雨にぬれないように、適度にかわいていくように、ビニールを少しめくって風を入れている日もあれば、そうでない日もあります。
(この子たち(干し芋)は、愛情をたっぷりもらって作られているんだな)
この間、ちょうど一人のおじさんが作業をしているところに出くわしました。くたびれた様子のおじさんが、渋い顔をしながら干し芋をひっくり返していました。
(おじさんは、こうして何年も何十年も、干し芋をつくってきたのかもしれないなあ)
おじさんがニコニコ愛想よく作業をしていないにせよ、手間ひまを惜しまずに、大事に作っている、そのリアルに、人の手仕事のありがたみをしみじみと感じ入ったひとときでした。
人が当たり前のように仕事をしている姿を、ただそれだけで美しいなあと思えるようになってきたのは、わたしの場合ここ最近のことです(かなり遅いのかしれません)。貸し農園でも、皆さん、黙々と作業をしていますが、ショッピングセンターなどを人がザワザワとうろついている時と比べて、表情がキリッとひきしまり、いい顔をされているなあと思うのです。人が働いている姿ってやっぱりいいものです。
店頭できれいに売られている干し芋だけでは、その背景にどんな風に人の手が加わっているのか想像することはむずかしいですが、こうして野菜をたくさん作っている地域に住んでいることで、日常生活にある当たり前のもの(野菜たち)へのまなざしが、ほんの少し変わってきたように感じています。
追記:この記事を書いたのは昨年の冬でした。わたしたちはこの夏もさつまいも作りに再挑戦しましたが、やはり専業農家さんのような大きな芋は実りませんでした。農業はとても奥が深い営みです。ただ、チャレンジ好きのテル坊は、JAで売られている大きな芋を購入し自宅で干し芋を作るようになりました。これがとっても美味しい。朝食のパンの付け合わせにピッタリです。今年もまたベランダで自宅用の干し芋を作っているわたしたちです。この地域に引っ越してきたおかげで思い出がまた一つ増えました(この春にはまた転勤で場所を移動する予定です)。