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河童の話。(3)

目を覚ますと、シマ子は滝つぼのそばに横たわっていた。
「あれ、わたし、どうしたんだ?」
 顔だけあげて辺りを見回すと、キュリー先生が滝つぼに足をつけてすわっていた。服は着ていない。頭の上は平坦で髪が生えていない。やっぱりお皿があるのだ。

シマ子のたてた小さな物音に気づいた先生はすっとふり返り、ペタリペタリとがにまたで近づいてきた。シマ子の肩をさすりながら、
「だいじょーぶか?へーきか?」
と、心配そうに顔をのぞきこんでくる。身体はキミドリ色で、人間に比べると平ぺったく見える。手の指と指のあいだには白っぽい水かきがついている。背中の甲羅は、丸くて頑丈そうだ。

「うん、だいじょうぶ」
シマ子がうなずきながら答えると、キュリー先生の細い目がさらに細くなった。笑っているように見えた。
「おまえ、つよかったー。わし、たすけられた」

(わたしが先生を助けたの?)
そういわれて思い出した。水の中をもぐっていくと、黒いかたまりがキュリー先生の首をしめつけているのが見えた。シマ子はそのまま、かたまりの背後から、思いっきりかんざしを突き刺したのだ。ガツンと何かに刺さる手応えがあった。赤い液体がうすい筋のように水中に広がっていった。

「もう、だいじょーぶ。魔物たいじ、おわった」

(へえ。あれって魔物だったのか。昔話によく出てくるやつだ)
あれほどこわかった気持ちが、すっかり消えてなくなっている。気持ちだけじゃなくて、身体の力もぬけてしまっている。起き上がりたいけど、今は身体を起こすのもむずかしい。さっきのたたかいで、ありったけの力をふりしぼったのだろう。

「これ、とってきた」
キュリー先生が、シマ子の手のひらの上に差し出した右手をのせた。母親のかんざしだった。
「これが、おまえとわしの命すくった」
あれ。よくみると先生のうでが異様に長い。シマ子の視線を感じたのか、キュリー先生が肩をすくめるとスルスルーっとうでが縮んだ。先生が笑った。
「カカカ。カッパはうでがのびーるんじゃ」

(ああ、やっぱりキュリー先生はカッパだったんだ)
ホッとしたシマ子は、そこで意識を失った。つぎに目が覚めた時、とおくにオレンジ色の夕焼けがみえた。滝つぼのそばにいたのはシマ子ひとりきりで、キュリー先生も、先生の着ていた服も、何もかもなくなっていた。

<4>

夏休みがおわり、学校には真っ黒に日焼けした子どもたちがもどってきた。その中に少し背が伸びたシマ子もまじっていた。ところがだれもキュリー先生のことを口にしない。

(どうしたんだろう?)
全校集会でもキュリー先生の話はなかった。校長先生のとなりには、紺色のスカートをはいた根津先生が立っていて、子どもたちをやさしく見つめていた。

登校初日は午前中で授業がおわる。「バイバーイ」「また明日」子どもたちが家に帰り始めた。シマ子は、だれもいなくなったのを見はからって保健室に向かった。根津先生がひとり、机で書き物をしていた。
「先生、あの…」
「あら、シマちゃん」
根津先生がにっこり笑った。
「水泳大会、入賞おめでとう」
集会の時、みんなの前で賞状を手渡されたのだ。シマ子はホッとして先生にかけよった。

「先生、あの、キュリー先生は…」
「もしかして、わたしの代わりにきてくれてた先生のこと?」
「はい」
「それがねえ。もういないのよ。校長先生が急きょ探してきてくれたらしいんだけど、わたしも挨拶できないままだったの。他の先生たちに聞いても、どんな先生だったか、あまり覚えてないって」

(先生たちも覚えていない?)
シマ子は、狐につままれたような気持ちで保健室をあとにした。滝つぼで助けてもらったお礼をいえないまま、キュリー先生がいなくなるなんて。校門のところまで、地面の砂を見つめながら歩いていくと、門の前に校長先生が立っていた。

「ちょっとばかし、校長室によっていかんかね」

 **

「それじゃあ、他の子も先生たちもキュリー先生のこと、忘れてしまったってことなの?」
「それがカッパの術なんだよ。人の記憶を消すことができる」
湯のみのお茶を飲みながら、校長先生がいった。
「それならどうして校長先生とわたしは、キュリー先生のこと忘れてないの?」
なんでも知りたがるシマ子に、校長先生は困ったような、でもちょっとだけ嬉しそうな顔をしてから、長い話を始めた。

「わしが河童と知り合いになったのは、三十年も前のことだよ」
当時、新任の先生としてこの村にやってきた校長先生のところに夏休みのある日、一人の女の子が、迷子になった河童をつれてやってきたそうだ。

「山奥の滝つぼで見つけたらしくてな。仲間の河童たちが寝ぐらへ帰っていく時に忘れられたんじゃろうって。すごく小さな可愛い河童で、2〜3歳の子どもの背丈しかなかったよ。なのに、鳴き声だけはバカみたいに大きくて、わしは他の先生に見つかったらどうしようかとヒヤヒヤしとった」

「それから、どうなったの?」

「河童を連れてきた女の子っていうのが、賢い子でな。『先生、ちょっとだけ待ってて』ってどこかへ走っていって。もどってきた時には、竹皮にくるんだカッパ巻きを持っとった。自分のかかあに急いで作ってもらったそうじゃ。河童はそれを見てピタリと泣きやんでな。カリカリ美味しそうにかじりよったわ」
校長先生はなつかしそうに上を向いた。

「きっと河童の母親が心配して、探しにくるだろうと思ってな。暗くなってから、わしとその子で滝つぼに河童をつれて行ったよ。そうしたら思った通り、母親が迎えにきとった」
「河童のお母さん、ホッとしただろうね」
「ああ、子河童を抱きしめて泣いとったよ。その時、わしといっしょに河童を見送った女の子って、だれだと思う?」

校長先生がシマ子の顔を見て、ニヤリと笑った。
「時枝なんだよ」
シマ子は目を大きく見開いた。それは亡くなったシマ子の母親だったのだ。「わしが河童に会ったのは、その一回きりだったが、もしかすると時枝はその後も河童に会っていたかもしれんな。あの滝つぼには、時々河童が出るってうわさがあったから」

今回、校長先生が河童に会ったのは2回目ということになる。
「キュリー先生は、昔助けたあの子河童なんだよ」
この冬、滝つぼに魔物が住みついたことを知った河童たちが、夏になると村の子どもたちが狙われるかもしれないと心配し、校長先生をたずねてきたらしい。お盆のお祓いを済ませてから、キュリー先生ら数匹の河童が、魔物とたたかうことになっていた。

「キュリー先生は、どうしてわたしが滝つぼに近づいたって分かったんだろう?」
「さあ。それがカッパの不思議な力なんじゃないのかなあ」
結局、シマ子とキュリー先生が力を合わせて魔物を退治したことになる。時枝のかんざしが二人を助けてくれたにちがいない。

「シマ子のこと、キュリー先生もほめておったよ。勇敢で、自分の判断を決して他人任せにしない。人間にしておくには勿体ないってさ」
校長先生の話によると、たたかいのあと、キュリー先生は両手に抱えきれないほどのカッパ巻きをもって、仲間の元へ帰っていったという。
「うちのかみさんに、沢山作ってもらったんじゃよ」

<5>

ふうう。祖母の話を息をつめるように聞いていたのり子は、そこが水の中ででもあるかのように、胸一杯に空気をすいこんだ。お話はここまでだ。こわかったけど、女の子が無事でよかった。まるで自分がシマ子になったような気分だ。お話の世界に入り込むと、つい現実とお話の世界の区別がなくなってしまう。のり子が両うでをあげて大きく伸びをしていると、祖母がいった。

「これでばあちゃんの話はおしまい。明日はのり子たちが家に帰る日だから、そろそろ寝ないとな」
「うん。もう寝る。おやすみ、おばあちゃん」
のり子は台所で水をコップ一杯飲んでから、客間にしいてある布団にもぐりこんだ。

 **

ガクン。首がゆれてのり子は目を覚ました。高速道路はお盆のUターンラッシュで、長い車の列が続いていた。じっと座っているうちに、つい居眠りしていたが、ようやく車が動き出したみたいだ。

「よおし、ここからガンガン飛ばしていくぞ」
お父さんが、自分にカツを入れようと明るい声を出した。
「ねえ、お母さん」
のり子は後部座席から、助手席にいるお母さんに声をかけた。
「おばあちゃん、いつもと少し雰囲気がちがわなかった?」

昨日の晩、祖母が話してくれた話が作り話にしてはあまりにリアルだったのだ。
「そう?別に変わりないと思うけど」
お父さんが流しているBGMの音楽が大きすぎて、返事がよく聞きとれない。のり子は身体を乗り出して、また聞いてみた。

「おばあちゃんって、下の名前、なんていうんだったっけ?」
「おばあちゃん?・・・ああ、しまこ。川上志麻子」

じゃあ、あれはおばあちゃんの話だったのかな。おばあちゃん、ほんものの河童に会ったことがあったのかな。のり子は夕べ、皆でお寿司を食べた時に、おばあちゃんがカッパ巻きばかりをかじっていたのを思い出した。
(おばあちゃん、キュリー先生のこと思い出しながら食べていたのかもしれないわ)

(完)





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宮本松
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