かつてワレワレは、自由な意思を持っていた。
かつてワレワレは、自由な意思を持っていた。
優しい心と、包み込むような愛と、自由な意思。
自由というと、現在では「束縛から解放される」という意味になっている。
本来は仏教用語で「自ずから」に「由る」ということである。
それ自体で「存在する」こと。
樹は自由である。
猫も自由である。
風も鳥も自由だなぁ。
あぁ。自由になりたい。。。
人間は自由に憧れる。
ワレワレが「自由に」と言う時。
ワレワレが「自由を感じている」時。
「本来あるがままに」
という自然のことを指している。
(自分勝手な我儘とは区別しておこう。)
「本来あるがままに存在」するとき
心の奥、肝の方からコンコンと湧き出る
静かなパワーを感じる。
生きている喜び。
根源からの愛。
理由はなくても
生きていること自体が嬉しい。
生命の歓喜。
涙があふれ全身が震えるほどの歓び。
降り注ぐ宇宙の叡智。
スピリチュアルの目覚め。
それはどこから来ている?
私は長らく探し求めた。
「感じない」時と「感じる時」
「自由」な時と「不自由」なとき。
探し求めた答えは「性」だ。
性は生命の大元。
性は霊性スピリチュアリティにも繋がっている。
陰陽の統合。
性とエネルギー(氣)の巡り。
ここはシンプルな答えに辿り着いた
ひとりの女の記録。
Miyamin