蚕起食桑
「お姉ちゃん…。」
八の字に眉を下げながら振り返る妹の顔を見て、それはそうだろうな、と軽い同情心を覚えながら手にしていた陶器のカップをソーサーに戻す。
外は午前中とは思えないほど暗く、ザー、という音が室内に届くほど強烈な雨が窓を叩いているが、何かしらのクラシックの曲だろうか…ゆったりとした音楽が流れ、シャンデリアが輝くこの部屋はまるで世界から隔離されているかのように静かで穏やかな時間が流れている。
鏡の前で何度も体を捩りながら1着ずつ吟味し、4着目まで着たところで、ついに妹からSOSが発された。
「どれがいいと思う?」
その言葉に、ラックにかけられた純白をもう一度、1枚ずつ確認する。
Aライン、プリンセスライン、エンパイアライン、そして今着ているマーメイドライン…見事にシルエットの違うそれらを順に見比べてみてもどれも素敵で甲乙つけがたい。
「どれもいいと思うけど…あとは好みなんじゃない?」
「だよねー…。」
「ちーちゃんは、どれとどれで迷ってるの?」
「…全部…。」
「全部!?」
「だって…。」
「まぁ、こんだけあったらね…。」
改めて部屋中を見回す。
所狭しと飾られた純白が、光を反射しているのか、部屋全体がキラキラと輝いているようにも感じる。
1枚1枚丁寧かつ繊細なデザインが施されており、ついつい目移りをしてしまうそれらの中から、よく4枚にまで絞ったものだ。
「ドレスなんて、この先もう着ることないかもしれないしさ。ウェディングドレスなんて一生に一度にしときたいじゃん?」
「そりゃね。」
「Aラインのは胸元のデザインが可愛いし、エンパイアラインはスタイルよく見える気がするし、プリンセスラインと、このマーメイドラインのは裾のレースの柄が綺麗だし…。」
「隆也さんは何て?」
「千咲の好きなのを選びなって。全部丸投げなんだよ?」
口先では文句をいいつつ、その顔には隠し切れない幸せオーラが滲み出ていて、口元は綻んでいる。
急な出張でこの場にいない旦那さんのために、ドレスを着替えるたびに写真を撮っていたときの顔も幸せそのもの、といった感じだ。
「お姉ちゃん選んでくれない?」
「私が?」
「いつも私の洋服選んでくれてたじゃん。」
「でもドレスだよ?」
「いいのいいの。私に似合うのを一番分かってくれてるのはお姉ちゃんだから。」
「ええ…。」
ラックにかけられているドレスに手を伸ばす。
レースを傷つけないよう、そっと触れて、1枚ずつ鏡の前に立つ妹の姿と交互に見比べる。
そして最後に手にした1枚。
「やっぱ、これかな。」
指にスルリとした感触。
シルクの柔らかく滑らかな肌触りと、控えめながらも存在感のある光沢が繊細なレースと相まって上品な印象を与える。
レーストレーンはバージンロードに映えるだろうし、デコルテラインが綺麗に見えるであろうオフショルのデザインも、大きめのプリンセスラインもきっと妹に似合うだろう。
それに。
「昔、ちーちゃんが書いてたプリンセスのドレスにそっくりだし。」
「覚えてたの?」
「もちろん。」
小さいころから絵をかくのが好きだった妹は一時期、アニメに出てくるお姫様に憧れて、ドレスを着た女の子の絵を描いていた。
このドレスは、その時よく描いていたドレスの1枚にすごく似ているのだ。
「着てた姿も似合ってたし、デザインもすごく素敵だし…うん、これがいいと思うな。」
「…じゃあ、これにしようかな!」
「念願のお姫様だね。」
「もうそんな歳じゃないけどね。」
「独身の姉にそんなこと言う?」
「あはは、ごめんごめん!」
「ったく…すみません!」
少し離れたところで待ってくれていたスタッフのお姉さんに声をかけると、笑みを浮かべながらこちらに近づいてきた。
話を進める2人をその場に残し、先ほどまで座っていたテーブルに戻り、ポケットから携帯を取り出す。
画像フォルダには、ドレスを着た妹の写真。
肝心のドレスは映っていないが、代わりに旦那さんを思いながらドレスの写真をとる顔が画面いっぱいに広がる。
最高に可愛い妹の写真が撮れたことに満足感を覚え、次に妹の旦那さんに会ったときには写真を送ってあげようと心に決め、冷めた紅茶を飲み干した。
小満
蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)
孵化した蚕が桑の葉を盛んに食べだす頃。蚕がつむいだ繭が、のち美しい絹糸になる。