桜始開
ピ――――――ピ――――…ガチャン…
ワンルームの狭い城に洗濯を終えたことを告げる音が鳴り響く。
本棚を組み立てていた手を止め、小さなネジがなくならないようドライバーと一緒に元々入っていた袋に放り込んでから洗面台へ向かう。
内側にへばりついているタオルや洋服をほぐしながらかごに移し替え、年季が入りつつあるハンガー類を載せて部屋を横切る。
ゆらゆらと揺れるレースをくぐってこじんまりとしたベランダへと出ようとしたところで、けたたましい振動音。
かごを小脇に抱え、空いた右手で卓上で暴れまわっている携帯を掴むと画面上には随分と久しぶりに見る名が表示されていた。
「もしもし?」
『あ、ハル?ひさしぶりー』
「めっちゃ久しぶりじゃん。元気―?」
『元気元気。ハルは?』
「こっちも元気だよー。」
耳と肩で納まりのいい場所に固定しながら、網戸に手をかける。
スリッパに張り付いた桜の花びらを足の指でそっとよけると、床に落ちた花びらはそのまま吹いてきた風に巻き上げられ、手すりの隙間からするり、と逃げていった。
道路を挟んだ向かい、川沿いに咲いている桜並木はまだ蕾も多く満開まではまだもうしばらくかかるだろう。
「で?急にどうしたの?」
『んー?新生活はどうかなーって思って。』
「それでわざわざ?」
『寂しくなってくるころじゃないかと思って。』
「それはどーも。」
タオルを手に取り、軽くはたいて伸ばしてから洗濯ばさみで挟む。
今日は陽射しに加えて程よく風も吹いているので、乾燥機の出番はなさそうだ。
「むしろ満喫してるよ。」
『ならいいけど。』
「いい機会だからタオルとかも全部新しいのに買い替えて、本棚も買いなおした。」
『総入れ替えじゃん!』
幼馴染の遠慮ない笑い声が心地いい。
満喫してる、という言葉に嘘はない。
嘘はないがそれでもシングルベッドの狭さには慣れないし、真新しいカーテンは見慣れない。
色あせた洗濯ばさみのよう、僅かなゆがみのせいで上手く嚙み合わない日々に思わずため息をついてしまう。
『大きなため息だこと。』
「桜が綺麗なもんでね。」
空になった洗濯かごを抱えて窓のサッシ部分に腰かける。
満開を待たずして一足先に散っていく花びらの、綺麗なまま散っていくその儚さや潔さが羨ましい。
ひらひらと舞った花びらが洗濯かごに落ちるのをぼんやり見つめる。
私にもこんな儚さがあれば愛してもらえたのだろうか…
『まだ満開じゃないでしょ?』
「六分ってとこかな…そっちは?」
『満開だよ。あとは散っていくだけ。』
「身も蓋もない言い方。」
『事実だもん。』
「それはそうだけど。」
『どんなに綺麗でもいつかは散るし、そのタイミングなんて神のみぞ知るってやつだし…それに散んなきゃ次の花は咲かない。』
正論を突き付けられて、悲劇のヒロインごっこは唐突に終わりを迎えた。
どれだけ儚く綺麗に散っても、桜はまた翌年花をつける。そういう強さも兼ね備えているのだ。
「そうだね…。」
『そうそう。』
「未来?」
『んー?』
「ありがとね。」
『なんのことやら。』
洗濯かごをひっくり返し、底をとんとん、と叩く。
床に落ちる前にふわりと舞い上がった花びらはまたどこかへと旅立っていった。
春分
桜始開(さくらはじめてひらく)
春の陽気に誘われて桜の花が咲き始める頃。