
- 運営しているクリエイター
#総合型事業
まちづくりについて_毒吐きメモ
おりこうさんな講演会では伝えきれなかったことを書いてみます
「みやこやさんのところでやっている取り組みを、うちで講演して欲しい」
私の行っている取り組みは、県内外を越えて関心が高く、各地で呼ばれて講演会をする事も多い。
しかしながら、講演が終わると、大概、お決まりのパターンがある。
まず、呼ばれるシチュエーションというのがあって、
まちづくりに熱心な方が、私の事を知り講演依頼をする。
し
「ワタシマチメソッド」完全マニュアル
「ワタシマチメソッド」完全マニュアルへようこそ!地域で生活を続けるためには、どうしたらいいんだろう。
そういう思いからスタートした構想も約20年。そして、思い切って自分の住んでいた町にデイサービスを作ってから3年経ちましたが、ようやく自分のイメージするような町づくりが動き始めました。
町づくりや共生社会づくりといっても、今、町の人が悩んでいるのはもっと奥深い根深い問題だったりします。
助け合いた
第2章 なぜみやこやをつくったのか_措置から介護保険へ
高校受験を控えたある冬のことでした。私はTV番組の特集に釘づけになりました。
「措置制度から介護保険制度へ」
これまでの施設や介護のあり方に、私はあまりいい印象をもっていなかったのですが、それはどこか施設のイメージが「姥捨て山」だったり、「行ってしまったが最後」みたいな雰囲気だったり。とても暗いイメージだったんですね。
一辺倒の支援でまとめて介助をされるというような、そんな印象です。
しか
第2章 なぜみやこやをつくったのか_おじいちゃんの存在
私が生まれたときから我が家には祖父がいました。
母は、小学生のときに母を亡くし、祖父が男一人手で母を育てたそうです。そして私の父は、母と結婚する時に祖父も一緒に住もうと言ってくれたそうで、我が家はずっと祖父、父、母、私、妹の5人家族でした。
祖父は私が中学1年の時に他界したのですが、自宅で息を引き取りました。日に日に衰えていく祖父を家族で看ながら、最期を送り出したのです。
当時、小学生だった私