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来し方への想い

生きてるうち
生きてるうちに先人の、母とか父とか、聞ける関係の中にいるならば
その祖父母が、またその父母が、どこで、何をし、生きてきたのか
尋ねるのがいいよ
それなしに、私たちは存在していないのだから
いない方はそれと関係なし、関わってきた人たちで、大事な人のきしかたを、尋ねてみるといいよ
それはあなたの輪郭に、そっと寄り添って形作ってきたきらめきだから

Xに投稿しようとしていた、散文。

 来し方。
 私は「きしかた」と、読んでいます。
 意味は、

き‐し‐かた【来し方】の解説

連語]《「き」は動詞「く(来)」の連用形、「し」は過去の助動詞「き」の連体形》 過ぎ去った時。過去。こしかた。「—を懐かしむ」
「—を思ひ出づるもはかなきを行く末かけて何頼むらむ」〈・総角〉
通りすぎてきた場所方向通過した所。こしかた。→こしかた(来し方)
「—を見やれば、うみづらに並べて集まりたる屋どもの前に」〈かげろふ・中〉


出典:デジタル大辞泉(小学館)

goo辞書 https://dictionary.goo.ne.jp/word/来し方_%28きしかた%29/ (参照 2024.11.28)

です。

 人はいずれ現行法にて火葬され、その造形を失います。
 骨になっても、墓所はかしょ奥深くしまわれては、その輪郭を常日頃目にする機会は失われます。

 それは、非情でしょうか。

 いいえ、さらに生きていかなくてはいけない、失せし人よりおさない人々にとって、受け取ったものを懐にしまいながら歩むことは、とても大事な事です。

 失われし人たちも、そうして、次へと繋いできました。
 これまでも、ずっと、ずっと。

 名をどこかに強く深く色鮮やかに歴史に刻まぬ限り、また文字や電子のデータを保存し続けない限り、数多の人々の「物語」や「人生」「その人がその人であった所以ゆえん」などは、砂絵のように海へと還っていきます。

 そうして、誰にも知られずひっそりと海峡の底へと沈んでやがてマントルになる。

 何があったのかを、誰も知ることができなくなる。

 私は、そう感じています。
 だからこそ。

 尋ねる先がある人は、どうか言葉を重ねきいてみてほしいなと思います。
 一番身近でとても遠いお話を、聞くことができます。
 熱を持った全く違った価値観と出会います。
 そしてそれは、確かにそこにあった命の記録です。

 若い人へと、しれず脈々とながれている血脈です。

 忌避感ある歴史は、知ることができれば回避できるかもしれません。
 何かいい方法を、後進の誰かが、思いつくかもしれません。

 良い行いの歴史は、知ることができれば身につけることができるかもしれません。
 もっとたくさんに、後進へと広められるかもしれません。

 想いは呪縛にもなり、また、宝にもなる。
 そう感じています。

 呪いをXなどのSNSでよく見る昨今、宝としている方もまた、Xなどで見かけます。

 どんな想いを受け取りたいか、どんな想いを嫌に感じ受け取りたくないと思うか。

 そんなことにも心寄せながら。
 日々を情けなくも真剣に、過ごしていけたらいいなと思います。

 心無い言葉はホビロンです。

 と書いてみて調べてみたら、ホビロンの意味が違っていました。
 私、滅びろを可愛く言うのがホビロンかと思ってました。
 正しくは「んとにっくりするくらい外!」でした。

 幾つになっても、むしろ幾つだからこそ? 無知の範囲が増えてゆきます。
 世の中には色んな物事があり、それぞれにお詳しい方、楽しんでいる方が星の数ほどいるなって、しみじみ思う今日です。

 あなたは、どんな想いを誰に、つないでゆきたいですか?

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