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統合失調症8年生、パティシエの卵になる

部屋に飾ってあるルルドのマリア像やエル・グレコ作の「受胎告知」のミニレプリカを眺めながら
「死ぬって何なんだろう。」
と哲学じみたことを考えてた。

私はキリスト教主義の学校に14年間通い毎日呪文のように「天におられる私たちの父よ…」と祈ったけれど神様のことは正直あまりよく分かっていないし、あまり信仰もしていない。
でもたまに自分でも笑ってしまうけれど今現在リハビリで就労の為に通っているベーカリーへの仕事に遅れそうになった時に
「神様!所長さんが怒ってませんように!」
と祈りながら心の中で上記で書いた主の祈りを唱えていることはある。
まあこんなくだらない信仰心でも心の中に信じるものがあるのは心の余裕に繋がると思っている。

そんな自分だけど夜もの寂しくなると死にたい気持ちに襲われる。
そうするとどうしようもなくこれから先の未来が途轍もなく長く見えて
「もうそんなに生きられない。今生きている分でお腹いっぱいです。」
と思ってしまう。

でも朝になると気分がガラリと変わって、
「さーて今日も頑張ろうか。」
と思えるのである。
勿論、夜はそんなこと1ミリも考えられない。

夜は長いしとても暗い。目に映る景色も心も。
闇に塗れてそのまま無に帰ってしまえればなんといいか、と今まで何度も思った。
だから行動にも移したし、その度に何度も叱られ後悔して、
「次からはもうしません。」
と嘘を言ってきた。

でも、段々と
「どんなに行動化したって死ねない。」
のだと分かってきた。

そうやって自死を諦めて何年か経ったと思う。
それでも夜はいつも希死念慮(死にたいと思うこと)が湧いてくる。けれど自殺企図(死のうと行動すること)はもうしなくなった。
何度も何度も頭の中で私が死んでも現実の私は死なない。

先日精神的に追い詰められて薬をシートから出して飲もうと思った。
出すまでは大丈夫だった。やれた。
けれど飲めなかった。
勇気がなかった。
死ぬこと、その行為をすること自体が出来なくなった。


話が脱線するが、とある漫画のセリフが今でも頭に残っている。それは大人が小学生くらいの訳ありの子供達に
「君は何にでもなれるし、どこにでも行ける。」
と言うセリフ。
その漫画を知った当時、小学生の私はその言葉を流し読みして心にも留めていなかったけれど今の私にはとても響く言葉になっている。
けれど、障害を抱えた私はどこにも行けないし、何にもなれない。
障害を抱えた自分には社会に出ることすら難しいのになりたい自己像を描いても叶わない。

そう思ってた。最近までは。

健康な頃はなりたい職業があった。
私の最初の夢は数学の教師、
次が診療放射線技師、
その次が精神保健福祉士。

これらは全て病気で諦めてしまった。

けれど今の夢はパティシエになること。
障害を持っていると受け入れることが出来るようになって抱いた夢がパティシエだった。
パティシエが障害を持つ人間にも容易に務まる仕事だとは思ってない。
それに、今までの職業から見て
「いやいや、いきなり将来の方向性変わり過ぎでしょ!」
と思われるかもしれないけれど、それには理由がある。

まず、私は過去、病状が重くて大学に行くことが出来なかった。
そんな周囲が大学でキャンパスライフを楽しむ中、私は療養をしながらお菓子を作っていた。
そうやってただの趣味で始めたお菓子作りだったけれど段々と技術を上げれるようになって、その写真をSNSに載せ始めると少しずつではあったけれど反応を貰えるようになり、一時期は“いいね”が1300件超えるようなお菓子も作れるようになれた。

そして去年、祖父の83歳の誕生日でいちごの季節を過ぎていたのでその代わりにとマンゴーのショートケーキを作ったことがあった。
その時に喜んでいた祖父の顔が心からの笑顔で心が震えた。
笑顔の写真を撮らせて欲しいと頼んだら二つ返事でOKをくれたので写真を撮らせてもらった。

83歳の誕生日を迎えた祖父


祖父は一般のヒラの会社員から自分で起業して会社の経営者にまでになって、口癖が
「何かやりたいことがあったらとりあえずやってみなさい。何かあるから。」
だという、とてもアクティブな性格を持っている。
そんな、何事にもチャレンジするべき、という精神の持ち主の祖父にケーキを切り分けている時にこんなことを言われた。
「あんたは大学に行けなかったんだからもし菓子が好きなら菓子を学びなさい。
◯◯(私の住む地名)でずっと同じ人間ばっかり付き合っててもつまらん。
いじめに遭ったとか、病気だとか、そりゃ生きてれば色々あるけれど、好きなことはしなさい。でないと人生の意味がない。
あんたはまだ若い。可能性がある。」


これを言われた時は涙が滲むほど嬉しかった。
「何にもなれないし、どこにも行けない。」
そう思っていた私だった。祖父以外の周りもそう思っているのかもしれない。
けれど誰か世界の一人でも私の人生が病気そのものじゃなくてもいいと思ってくれている存在がいるのがとても嬉しかった。
実は祖父も若い頃うつ病(祖父曰く当時精神医学がそれほど発達していなくて祖父の症状は統合失調症(当時で言う精神分裂病)とうつ病の曖昧なラインだったらしい。)を患っていて自死も考えたことがあったそう。
だからこそ響いた言葉だった。

だからだいぶ脱線したけれど話を戻すと、
私はもう自死をしようとする勇気がない。
頭の中で「もしかしたら」の未来があるから。

私はその後県内の製菓の専門学校を色々と調べた。
そうするといわゆる一般的な「通学制」の専門学校とは違う「通信課程」の専門学校を見つけた。
この学科は年に30回の通学と自宅でのレポートによって製菓衛生師の受験資格が取れる学科で、
私は見た瞬間「これだ!」と即座に思った。

そこから両親を説得させたり、見学に行ったりと私的に大変な道のりがあったけれど、それは長くなるので割愛。

そして今年、遂に私は「通信過程 製菓衛生師科」の1年生になった。

リハビリのベーカリーと学校を両立するのは難しいけれど何とか何とかのペースで頑張れている。

あの漫画のセリフの言葉を借りるならば
「私だって何にでもなれるし、どこにでも行ける。」

私は今、確かに生きている。

そして僅かな信仰心で
「神様もきっと見ているはず。」
と思っている都合のいい私もいる(笑)

そういう色んな意味で私が生きていく自分という存在は一人だけれど独りじゃない。


母の日はケーキを焼く予定を立てている。
どんなケーキを焼こうか案を練りながら、今日も私は私を生きていきたい。

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