
高校やめて医学部を目指すことにしたら自転車旅に出たくなって能登島まで行ってきた話。
2021年1月26日、私は全日制高校を辞めた。
2021年3月17日、私は医学部を目指すことにした。
詳細はこちら、暇があったらお読みください。
そうしたらなぜか自転車旅に出たくなった。
そういうわけで2021年3月29日私は約19時間かけて金沢から能登島までママチャリで往復約160㎞の旅に行ってきた。(当時諸事情で金沢に住んでいました。)
当時書いたFacebookの記事と書いたけど投稿しなかった記事があるのでそれに加筆修正してお届けします。
金沢から能登島への旅
目的地は能登島の食堂『お食事処 みず』。安くて美味しいお店です。
※能登半島地震で被災して現在は能登島の民宿「千寿荘」(0767-85-2160)に移転し仮営業しているそうです。
ここの定食を食べたいと思い行ってきた。
まずは時系列で行ってみよう。
朝6時過ぎに自宅を出発。森本の方を経由し、かほくの方へ。河北潟北部の東部承水路沿いに北上。この道の両側に桜が植えてあり、とても綺麗でした。桜だけでなく、椿やリュウキンカ、イヌフグリ、ヒメオドリコソウ等々、たくさんのお花に囲まれて快適に北上。

イオンモールかほくで小休止。ここで思わぬ出会いが。知らないおじさんに飴を頂いた。自販機で飲み物も奢って頂きました。旅の醍醐味を感じた。
その後は玉置浩二の『田園』を頭の中で流しながら田園を通過し、順調に宝達志水町、羽咋市、中能登町と進み、『道の駅 織姫の里なかのと』に到着。ここで、甘酒ソフトクリームを頂きました。優しいお味で美味しかったです。
ここから、後、ひと踏ん張り、とペダルを踏み込むが途中でお腹が痛くなる。ソフトクリームで冷えたのか、汗冷えなのか、強風によるものなのか。更に道を間違え大幅にロス。私はとんでもなく方向音痴なのです。

やっとの思いで能登島大橋に到達。しかし、疲れきっていて、景色を見る余裕もなく強風で飛ばされるのではないかと只々怖いだけでした。
14時半にやっと『お食事処 みず』に到着。イワシフライ定食と生バナナジュースを注文。イワシが一匹だと思っていたら、二匹で少しテンションが回復バナナジュースはビールジョッキにたっぷり入ってにたっぷり入っていて本当に美味しかった。お腹が痛かったのは少し残念だけど、それでも美味しく頂きました。
帰りはもうフラフラ。このまま帰れないんじゃないかと思いました。何度も自転車を降りて歩きつつ、やっとのことで『道の駅 織姫の里』に到着。ここでしばらくうとうとと横になり体を休めたところ体調は大分回復しました。18時半すぎに道の駅を出発し国道159号線をひたすら南下。道はもう真っ暗で心細かったです。怖いので歌(鬼束ちひろとか。選曲おかしいよね)を歌いつつ進みました。(とても音痴で、人様にはとてもじゃないけど聞かせられない)
次のコンビニまで、次のコンビニまでと繰り返し自転車を漕ぐ。夜が深まると共に何故かどんどん体調は回復。
途中で、行くときに通ってきた道に電灯が全くなかったことを思い出す。父にLINEでどの道が走り易いかを聞き、津幡バイパス沿いに森本の方へ。日付が変わり、城北大通りにでたときは、見慣れた道にホッとした。
そんなこんなで1時半を周り2時前には無事家に帰ることが出来た。家に帰ると父が心配して起きていてくれた。道を調べてくれ、心配して待っていてくれた父に感謝。
休憩も込みでトータル19時間20分。総距離160km(くらいかな)。いろいろあったけど、いい旅だった。
今度は、気付いたこと、感じたこと、変化、旅のその後、等々をだらだらと書こう。
※一部重複
方向音痴の話
国道159号線を北上するなかで、道が立派になったりショボくなったりすることにびっくり。当たり前なんだけど。 道が細くなり、道を間違えたのではないかと思うことが度々。途中で、歩道と道路の間にある反射材のついたポールに書かれている国土交通省の文字に気付く。国道は国土交通省、県道は石川県と書かれていた。国道と交わっているときはこの方法は使えないが。1つ賢くなった。
普段車に乗せて貰うときは意識しない看板を意識したり、地名を覚えたり、位置関係を覚えたり、道路の名前を覚えたり。。やっぱり人に頼らないと出来るようになるんだなと感じました。少しは方向音痴治ったかな。
※3年以上が経過した現在方向音痴は治っておりません。
コンビニの話
夜はとにかく暗いし人がいなくて怖かった。行くときは怖かった後ろから来る追い抜きの車の音に安心したり。コンビニに着くと明るくて、人がいて、トイレと食べ物があって、ホッとしました。その結果、旅を終えてからしばらくはコンビニを見るとテンションが上がるという習性が。
食欲の話
旅の目的の1つに"ダイエット"というのがありました。自転車を漕いでいるときは、そんなにお腹がへらなかったのに、帰ってきてから数日食欲が。。めっちゃお腹がすいて、そして、食べた。結果、たぶん痩せなかった。
この後の話
「また、旅に行きたいような行きたくないような。いつか北海道とか行ってみたいです。多分しないけど言うのはただだから言ってみます。もっと体力つけて夏には山に登りたいな。今回、達成出来たから、他のことも出来るんじゃないかとワクワクしてます。」とか書いてる過去の私。現在は山登っているよ。早く3000m超の山に登りたい。
最後に(当時)
美味しいものをお腹をすかせて食べること、ダイエット、体力づくり、それと達成感が欲しかった。これが1番大きいかもしれない。この2年間いろいろあって(当時)、何しても上手くいかなかったり、続かなかったり、最後までやりとげられなかったり。それで、自信をなくしてたからなにか凄いことをしたかったのかもしれない。今回の話を聞いて「メンタル強いね」と言ってくれた方がいたが、むしろ弱いから、こんなことをしたのかもしれない。どうせ無理っていう思いを払拭したかった。弱さを越えたかった。
走り終えて、今、達成感はあるけど、そんなに変わらない。
現在
やっぱりそんな簡単には人は変われない。でも私はこの頃よりも確実に成長した。日々の積み重ねによってね。
以上、『高校やめて医学部を目指すことにしたら自転車旅に出たくなって能登島まで行ってきた話』でした。
本当に最後に
能登地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
そして被災された方々の日常が一日も早く取り戻すことが出来るよう応援しています。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
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