楽しさとは2。【ひねくれ育児日記】
子どもをあやす、というのが下手くそだ。
何をしていいのかわからない。動作を実況中継するとかならできるが、ゼロからなんと話しかけていいのかわからない。
母は上手い。ずっと何か話しかけたり、口で音を出したりしている。
私の里帰り中はたまにしか子どもに会わなかったはずの、夫も上手い。手で何か示してみたり、ちょっかいを出したり。
でも私はどうしたらいいのか思いつかない。困って「赤ちゃん あやし方」で検索してみたりする。
そんな時目に入った、家に送られてきた出産内祝いカタログに載っていた広告。眠る赤ちゃんの写真に添えられたコピーは、
「今日も楽しかったね」。
そんな風に言える日が来るのだろうか。
息子は日々に楽しさを感じてくれるのだろうか。
だいたい、「楽しさとは」などと言っている人間が人に楽しさを提供できるのだろうか。
これまで私は楽しさというものを人に提供してもらってばかりだった、と思う。
基本的にボケ担当でツッコミ待ちなので、一人では笑いが成立しない。雑談が苦手で、沈黙が苦痛ではない。仕事や勉強、音楽、家族のためにすることなどをできるだけたくさんするために、特に何かの役に立たない自分一人の遊びの時間は、できるだけ許さないようにしてきた。気分転換という名の現実逃避、逃げ道としか捉えていなかった。
絶望的な気分になった。
今もまだ、どうしていいかよくわからない。
ただその後、最近、ふと気付いた。
ライブで、知っている人だけでなく知らない人にも何か伝わった気がした瞬間、楽しい。その瞬間に出会いたいから、よい音になるよう、素敵なアドリブを吹けるよう、練習する。
仕事でも、直接顔の見えない読者に伝えたくて、文章とか写真とか、表現方法に試行錯誤を重ねてやってきた。
子育ても、まだ言葉による相互の意思疎通ができない、できるようになったとしても一個の別人格に、何かを伝えるという点で、今までやってきたことと通じるのかもしれない。楽しさだけでなく、愛情や生きる上で必要なことなどを、どうしたら彼に伝えられるのか探求して、伝わったと感じたときに、楽しさを覚えるのかもしれない。
今まで自分がやってきたことと子育てに、共通点があるかもしれない。それなら、私も子育てに楽しさを感じられるかもしれない。そう思うと、楽しさを伝える試行錯誤が前向きに捉えられる気がしてきた。
とはいえ、具体的に何ができるわけでもなく、おもちゃなどに頼る日々。
ネタが尽きてくるので、妹が出産祝いにくれた絵本を早くも読んでみたら、なんと大受けでご機嫌だった。
何も知らない私に妹は、作者のtupera tuperaさんは絵本のすごい人だと教えてくれた。子どもの好きなところを突ける人は凄いと思う。
私が何か工夫したとは言い難いが、笑ってくれるなら嬉しい。
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