『南極料理人』に感じる心理的安全性の高さ
『南極料理人』を観て、私にとって南極での暮らしで過酷だな…と思うのは、平均気温-54℃という極寒地の生活でも、観測基地という閉鎖された環境での生活でもなく、公私が混在する時間と空間の中で他人と寝食を共にする生活をおくることだ。組織に約30年属している自分には、ソーシャルな人間関係の中で素の自分を晒すリスクは計り知れない。そんな勇気も無い私は、常に差し障りの無い公の顔をして乗り切ろうとするかもしれない。だから、時には情けない姿をみせたり、それを受け止めたりして公私の時間を過ごす8人の寛容さと、素直さを心から羨ましく思う。それを今どきの言葉で言うと『心理的安全性の高いチーム』とも言えるかもしれない。心理的安全性とは組織の中でお互いに率直な意見や気持ちを安心して表現し、行動できる状態を言う。そして、心理的安全性を高める因子は大きく分けて1.助け合い(困った時はお互い様)、2.話しやすさ(何を言っても大丈夫)、3.挑戦(とりあえずやってみる)、4.奇異歓迎(視点や価値観の違いも快く受け入る)がある。この映画に感じる心地よさや安心感にはこの要素があるのではないかとも思う。そして、過酷な状況下でこそ、こうした状態を作ることが生存にも繋がるのだと思う。
そんな「南極料理人」を月曜日の19:00過ぎに、リビングで夫がひとりWOWOWで観ていた。そこを通りかかった私も、何となく腰を下ろし、生協のチラシをひろげて今週分の注文書にマークを入れながら一緒に見ることにした。夫は『南極』という文字につられ、壮大な物語だと勘違いして観始めたのかもしれない。それでも、ほのぼのとした笑いが起こるストーリーを夫はその都度ちゃんと笑い声を上げたり、ツッコミを入れながら観ていた。途中「この映画は起承転結のストーリーがあるわけじゃなくて、物語自体を楽しむ映画なんだね。」と言った。私は前にも観たことがあるので「そうだよ。」と答えた。ハリウッド映画とか、超大作とか、ジャッキーチェンの映画とか…そういった映画が好きな夫は期待外れと、意外な面白さの両方を感じたのだろう。
この映画では、料理人の意見も聞かず伊勢海老でエビフライを作って貰ったのに「やっぱ刺身だったな」とボソリと言ってしまう姿や、ひとり隠れてバターにかぶりつく姿や、ラーメンにみせる執着心など、とにかく人の様子が面白い。私も横目で見ながら「人間って面倒くさいよなぁ」と口に出てしまう。そして、こんな所もこの映画の見どころだと思う。何かと面倒な人間が、何かと面倒な生活を共にする中で見せる人間くさい姿に思わずクスッとしたり、モヤッとしたり…。人には色々な事情や思いや癖や個性があって面倒な存在だけど、面倒ながらも付き合っていく中で見つける面白さってあるよな…と思う。
50歳を過ぎた夫婦が『南極料理人』を観て一致した意見は、勝手に自分より年上だと思い込んでいた生瀬勝久扮する隊員の誕生会で『45歳おたんじょうびおめでとう』と書かれてある横断幕を見て軽く絶望したのと、異国の地でのラーメンへの郷愁と執着心には共感しかない!堺雅人が若い!ということ。そして「長い人生のなかで、大変でも1年位こんな非日常を経験するのも素敵だよね。どうせ死んじゃうんだし。」と頷きあった。
平日が始まったばかりの月曜の夜に、色々な条件や偶然が重なって夫婦2人で映画1本を観る贅沢な時間を過ごせた。