【自己紹介】42才でゼロから牛飼いを目指してますが、良いもんですよ😊
おはようございます。悠々ファームのクニです。
今年で43歳となり確実に人生の折り返しに入っている私ですが、かる~くこれまでの半生を振り返る意味でも自己紹介です!
まず現状はと言うと、昨年の42歳で仕事を辞めて無職です(笑)
ちっちゃいころはこんな感じ
父は叔父が経営するガソリンスタンドの店員、母は専業主婦。不自由はないけど裕福でもない普通の家庭の長男として生まれました。
小中で思い出すのは野球だけ(笑)。
人見知りで少し内向的な性格で授業は普通に受けてたまじめ君でもあり、偏差値60ぐらいの高校を受験。自転車通学ができる、私服で通えるって理由だけで背伸びした公立高校への受験でしたが、何とか合格。
その受験は難しいのでは?と3者面談で言われたのに私が行きたいって意地を張っていたので、母はその3者面談の後で泣いていたようです。#裕福じゃないのに落ちたら私立やし
高校ではラグビー部に入ったり、体育祭が有名な高校でもあり2年で応援団の旗手、3年で応援団長をやったり、「昔に戻れるなら?」て質問では速攻に高校と即答するぐらい楽しい思い出がいっぱいです。
「コンプレックス」<「やりたいこと」?
小中高と野球、ラグビーをしてきましたが、体重は一度も標準に入ったこともなく、ずっとぽっちゃり。外見では明らかに下の分類に入る私ですが、それをあんまりコンプレックスって思った記憶がないんですよね。。。
いま振り返ると、その時その時の「やりたいこと」をやれてたおかげなのかなぁ、と思ってます。
どの過去も一つ欠ければ今は無いと思っている私ですが、いつも未来の「やりたいこと」を考えることができる、というのが私の長所のように思います。
反対言うと、ほとんど過去を振り返ることはしないので、小中高で一応ちゃんと友達がいましたが、連絡を取り続けることができなかった今は当時の友達はいません(笑) #同窓会誘ってください(笑)
人生の転機
そんな長所(?)が爆発し始めたのが大学です。
高校でもまじめに授業を受けていたこともあり、無事に関西大学に入学。 #本当は自転車で通える大阪市立大学に行きたかった( ノД`)シクシク…
この大学受験で出会えたのが「英語」です。あんまり得意な科目ではなかったのですが受験のため洋楽や洋画を見るようになり、いつの間にか虜に。
高校ではたまたま理数が得意だったので工学部に入学したのですが、虜になった「英語」を使って仕事がしたいと思って大学を中退。 #また母を泣かす。。
「やりたいこと」のために「やりたくないこと」を
大学を中退してからまず目指したのは語学留学。
そのお金を貯めるためにピーク時はバイトを3つ掛け持ち。昼は宅急便の配達、夕方はびっくりドンキーでキッチン、深夜はコンビニ。バイトだけで月30万稼いでました(笑)
お金がなかったのでバイトばっかりしていたのですが、「やりたいこと」のためにだとそんなバイト漬けの生活も全然嫌じゃなかったんですよね。
「やりたいこと」のために「やりたくないこと」を頑張る
Youtubeで見たレペゼン地球のDJ社長の言葉がめちゃくちゃ刺さりました。
そんなこんなで無事にオーストラリアのアデレードという町で語学留学を実現。学校での勉強だけでなく、地元の草野球や草ラグビーチームへの参加、現地の友達との小旅行などいい思い出がいっぱいです。
「目的」と「手段」をはき違えるな!
語学留学から帰ってからは、まずTOEICで720点ぐらいを取って、そして輸入機械を扱う商社に入社しました。
入社して直後の仕事が、お客様のところへオランダからのエンジニアを連れて通訳としてトラブル対応。望んでいた「英語を使っての仕事」です。
けど、気づいたのは「英語」てのはあくまでも「手段」であり、「目的」は輸入機械を販売する「仕事」なんです。別に営業という仕事が嫌ではないのですが、「英語は手段」って気づいた時の自分の中での落差が埋めきれなくて半年ぐらいで退社。
そして、英語は一旦忘れて、アルバイト生活で好きになった接客をやりたいと思ってびっくりドンキーの本部に入社し、店舗での調理や接客、マネジメントの仕事を始めました。 #社名はややこしいので伏せときます(笑)
このびっくりドンキーとの出会いが一番大きな人生の転機です。
「自分ごと」として仕事に向き合う
接客がしたくて入社したびっくりドンキーですが、店舗で2年働いたときにいただいたのが「食材バイヤー」としての仕事。食材に関しては無知で関心のなかった私ですが、何となくの興味で生まれ故郷の大阪から札幌に移住。
はじめは何をしたらいいのか分からない中で毎週の朝礼での活動報告。これがストレスでついには血便に(笑)
それでも仕事をしていく中で知識や経験が増えていき、そうするとトラブルも増えてきます。
取引先が納品を忘れたり、台風で年一作の商品が製造できなかったり、世界の需給バランスで価格が高騰したりと、様々なトラブルがありました。1億円弱の在庫を廃棄するという大変なご迷惑もおかけしました。
そんな中でも他責にせず「自分ごと」として社内への説明責任から逃げずに、自分ができる改善にはいち早く取り組む。それを心がけて仕事をしたおかげか、より重要な食材を担当させていただくようになりました。
それがビーフの調達です。
びっくりドンキーのビーフはグラスフェッドビーフ。それも単に流通しているビーフを買うのではなく、育て方や肉質に独自の基準で調達するために海外の農家からの取り組み。
そのためには農家や加工場、輸出入者など様々な人を巻き込まないと実現することができません。それは、買うという立場だけではできません。
巻き込むためには全員がWin-Winの関係を作ることも大切ですが、まずは熱意がないとできないと思っています。そんな時に「会社(上司)が言っているので」という姿勢でできると思いますか?
会社の使命・理念やマーケットだけでなく畜産業の現状や生産現場のことも含めて勉強して、そのうえで会社やお客様の代表として「自分の言葉」で説明できないと周りを巻き込むことはできないと痛感しました。
新しい「やりたいこと」
びっくりドンキーでは仕事への向き合い方だけでなく「食とは人を良くすると読む」という考え方など大切なことをたくさん教わりました。
バイヤーとしても、国内の野菜や畜産、海外の畜産や農産加工品、しいてはコーヒーまでの調達を担当させていただき、”植物や動物を健康に育てることで、食べても美味しく、健康だからこそ余計な農薬や抗生物質を必要としない安全な食材”を作るのにこだわる素晴らしい農家の方々とお会いしてきました。
バイヤーというのは農家と消費者を結ぶことができる素晴らしい仕事なんですが、それ以上にそんな食材をつくる農家さんへの尊敬が上回り、”自分でもやりたい”と決意し会社を辞めたのがいまの状態です。
自分が創りたいのは、放牧で牧草肥育した和牛、です。
オーストラリアのタスマニアで見た”タスマニア産ナチュラルビーフ”、そんなビーフを日本の自然で育ててみたいと思って挑戦中です。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?