1-2.最初の「大学生版書く力をつけるプログラム」
T先生からの最初の要望はこうだった。
「ゼミ生の2~4年生を対象に、実験的なことをしてみたい。ライ
ティングに関して教わることははじめてだと思うので、学生の反
応、感想、変わり具合を点検したい。」
T先生も、私が専門学校で感じた学生の「みな同じような文章になってしまうこと」には、手を焼いていたようだった。
「何を書けばいいのかわからない」
「わかりません」
「調べます」
が、大学生の常套句であるそうだ。
(今であれば、「調べます」というならまだ見込みがある方かもしれない笑)
結局、そういう学生たちには、自分が主体として「書きたい」「伝えたい」という思いがないのかもしれないと思い立った。
彼らは、学校で国語の勉強はしてきたが、文章を書くことで自分は何をどうしたいのかということを考えたことがないのではないか。
つまり、知は得たがそれを使いこなすという視点でいないことが、問題なのではないかと思った。
それで、今回のプログラムは、最終目標を「書けるようになること」とした。
ライティングのプログラムにしては当たり前過ぎる目標だが、実は日々の学習の中で、最終目標を意識してやる経験自体が少ないのではないかという仮説が私の中にあったのだ。
学生のなかには「習うだけでできるようになった気がする」傾向があるのではないか。だからできるようにまでにならないのではないだろうか。
あくまでも仮説だったが、「目標を定めて、アウトプットを意識して書く」ことは、その子の主体性を少しは引き出す役割を担うのではないかと思った。
今回参加してくれたのは、Tゼミ2~4年生を中心とした21名。
週1で4回コース。できるだけ説明は短く、ワークを中心とする。
この手法は私の得意技で(笑)、今でも変わっていない。
というのは、説明は、知識の習得にはなるが、それだけでは形式知で甘んじてしまうと思うからだ。知は使いこなしてなんぼだと私は思っているので、自分でやってみて体で理解する必要がある。その場と時間をしっかり確保したい。
90分という枠はワークには短いが、4日確保できるのが幸いだった。
Tゼミ生たちは、先生が連れてくる外部講師には慣れていると見えて、私が初見であってもそんなに警戒・緊張することもなく、素直に向かってくれていた。
最初に、目標の「書けるようになること」の提示。
それから、なぜ書く必要があるのかを考えてもらった。
自分の生活の中で、「書く」という作業はどんなものがあるのかを出してもらう。
メールや手紙、レポート、書類、ノート、メモ、日記、小説、ブログ辺りが出た。
(この当時は、SNSはまだ出てきていない。Mixiあたりはあったものの、まだ学生が意識して使うツールとしては登場していなかった)
「書くという作業には、用途、役割、意味があるよね」と伝える。
メールであれば、用途は連絡、告知、思いを伝える場合もあるだろうか。役割は、例えば電話と比べると、文として残りかつ複数の人に同じ情報が伝わるので、正確に情報が伝わる、時間を選ばないこと。意味は、自分でつけるものだと思うが、コミュニケーションだったり自己表現であったり、備忘録であったりするかもしれない。
文章なので、考えを整理する意味合いがある場合もある。
そんな説明をして、
書くという作業として出してもらったものは、手法なのだと説明した。
そして、「じゃあ、手紙だったら?日記やブログだったら?それぞれの用途、役割、意味ってどんなものがあげられるだろう?」と問い、それぞれ考えてもらった。
そして「みんなが思いついた他にも、病院で書く問診表とかは?アンケートだったら?小説とか詩の場合は?」と結構しつこく問うた(笑)
つまり、書くという行動は、その人が、誰か(自分自身や特定された他者、または特定されない社会等)に対して、その人の目的を遂行するために、
メールなどの手段・手法を使って表現することなのだ。
なので、自分が何を誰にどうしたいのかを先ず意識することが、書くことの前提条件となる。
そこまでを、言葉と板書で説明をした。
書くことは、自分が主体的に能動的に考えることを意識することでもある。
そこまで、彼らが理解できるのかどうかはわからなかったが、
主体的に能動的にさせるには、講義を聞いているだけのスタンスを取らせないことも必要だ。できるだけ説明は最小限にして、問いかけて考えてもらったり、発言をする機会を作るような仕掛けでのぞんだ。
「受け身にさせない」しかけづくりは、私が作る書くP(「書く力をつけるプログラム」→のちの「書く力をきたえるプログラム」の略称)のシナリオにおいては、その後も一番に心がけるものとなった。