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原爆関連作品

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自主映画のうち原爆関連の作品を取りまとめたもの
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記事一覧

昔の座り込みと今の座り込み

2024年のノーベル平和賞を日本被団協が受賞しましたね。 核実験が行われると広島平和公園でそれに対する抗議の座り込みが行われますが、広島の被爆者団体の原水禁系と原水共系二つの団体が別々に座り込みをします。座り込みといっても昔と違って、観光の集合写真用の記念撮影用でも使われている慰霊碑前の階段に座って数十分座ってマスコミが撮影して終わりです。 温いとても温い!非情に温い抗議活動です。 私が社会人になる頃の平成中期にはまだ少なくとも座り込みは地面に直接座り込んでいました。被爆者の

原爆ドーム前の真実

テレビや新聞では原爆ドームの絵面の関係からか川を挟んで対岸からの写真ばかり掲載され、今年の8月6日にここも公園の一部ってことで閉鎖された原爆ドーム北側の写真を掲載します。ご覧の通り普段のここでは政治運動なんぞされていません。絵面が悪いのもあって例えば核実験抗議の座り込みにしろ原爆慰霊碑のほうでやってますね。昔はこの手前側に売店とトイレがありボート乗り場がありました。トイレ近くでダイインなんぞ出来ませんし絵面的にも売店トイレがあった時代はちょっとどうかと思います。原爆ドーム周辺

広島平和公園ナチスドイツコスプレ横断事件

1980年代にあった実話です。広島コミケにおいて第二次世界大戦のドイツ軍のコスプレをした集団が、そのまんま着替えることもなく袋町の広島こみケン会場から、本通経由で、平和公園原爆ドーム横をすり抜けて土橋だか十日市だかの中華料理屋で打ち上げの飲み会をやったことによる、ナチス親衛隊っぽい軍服きた一団が堂々と平和公園を通ったことに観光客の白人中心に通り過ぎた後に、怒号が飛び交った事件のことです。 本人たちはあまり考えなく趣味でナチスドイツの軍服コスプレしたようですが、国防軍の他に親衛

被爆瓦を拾う人々

「被爆瓦を拾う人々」とは原爆ドーム周辺の雁木から潮が引く時間帯を見計らって夏休みを利用して川底の瓦などの残骸を拾う高校生の活動について1988年に記録したビデオ映画です。被爆瓦とは広島や長崎の原爆投下後に残された瓦のことを指します。これらの瓦は、原爆の爆風や熱線によって変形したり泡だったり、独特の形状や質感を持っています。被爆瓦を拾う行為は、爆死者への供養の他に、戦争の悲惨さや平和の重要性を再認識するための一環として行われます。広島や長崎では、被爆瓦を保存し、展示することで、

広島に産まれて

長崎原爆の日に合せて紹介します。「広島に産まれて」は被爆二世の同世代の男性が(サークル活動で接点はあったらしいが憶えていない)作った「血のにじむような」主張の記録映画です。ビデオ映画ですが、カメラは一人称で監督が撮影するものになります。映画は1988年に当時、東京のプログラミング会社に勤めていた監督本人が茨城県の原子燃料のペレットを製造する会社に溶接ロボットのプログラミングで出張するところから始まります。上野駅を出て茨城の当該駅に着くと、駅前で原子力燃料移送反対のデモが行われ

ABCC

「ABCC」は1995年に視聴したスライド方式の作品をビデオ撮影した告発映画です。ABCCとは原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission)のことで頭文字を取ってABCCとなります。 被爆者の証言をもとにした紙芝居と写真を用いたスライドでその非人道性を告発していく形式になっています。アール・レイノズル博士の広島原爆被曝児童の成長及び発育の調査という名目で、広島の被爆女子児童生徒を、3年間で延べ4800人裸に剥いて写真撮影し、身長、体重、生

原爆の孫

「原爆の孫」は1980年代に作られたビデオドキュメンタリーです。1990年代に入ってから視聴する機会に恵まれましたが雰囲気から1980年代の作品だと判断しました。内容は被爆三世の中学生が学校新聞とそれを引用した地元紙の嘘を取材を通して暴くというものです。その嘘というのは江波中学校の校庭に被爆者の遺骨が大量に眠っているというものです。戦後、陸軍練兵場で野焼きされた被爆者の遺骨をそのまま野ざらしには出来ないので隣接する江波中学校の校庭に埋めたという内容の学校新聞が壁新聞として公開

放射能怪獣

「放射能怪獣」は1982年のビデオ作品です。テレビニュースの形式を取った作品で、ニュースキャスターが、広島の地元紙中国新聞で連載されたいた被爆星人についての連載を読み上げていくものでした。当時の中国新聞で「ウルトラセブン」のいわゆる12話問題(ウルトラセブン12話については安藤健二著「封印作品の謎」が詳しい)について取り上げた連載があり、その記事内容を備忘録のように読み上げていく内容でした。中国新聞の連載そのものは「スペル星人」に始まり、ゴジラや1950年代のやたら放射能で巨

原爆の証言者

問題作である「原爆の証言者」は1986年に江波のNさんが作った被爆者の男性が一方的に話すのをノーカットでビデオ収録してタイトルを付けただけの映像作品です。 登場する被爆者の男性は江波で昔から有名な歩行者を捕まえては一方的に論戦を仕掛けてくるので有名な人でした。この男性に、広島電鉄江波車庫前電停で江波中生徒が捕まり(わざと捕まるように中学生が挨拶した)広島銀行江波支店を通り過ぎ喫茶デルタの前で近所のおばさんに無理矢理手を引かれて男性から引き離されるまでの30分間の作品。 6車線

ワンモアヒロシマ

ワンモアヒロシマは、1992年に広島の高校生が作った反核映画です。基本的に平和公園と原爆資料館をビデオ撮影したものに被爆者の証言を加えた30分の作品です。今では貴重な改修前の資料館や資料館に併合された記念館の映像が楽しめます。映画はラストにジェット機が広島原爆ドーム上空を旋回してくるシーンの後に原爆投下されたかの如くホワイトアウトに爆発音が被さるシーンで終了します。これは新藤兼人監督の映画「原爆の子」のラストシーンの広島上空を飛行機が飛ぶ音が響くラストシーンと同じ演出です。旧

Space Correspondent(宇宙特派員)

「Space Correspondent」は1985年に元安川で被爆瓦の収集を行っていた高校生グループの一部の有志が制作した特撮映画です。内容は顔の青い宇宙人のジャーナリスト(地球人に取材するときは地球人に化けている)が地球に来て、原爆投下から40年目の広島平和式典を取材するというものです。 当時の中曽根康弘総理大臣が参列し、世界中からBBCやCNNもABCも取材に来ていた広島平和記念式典でゲリラ撮影を強行し、スーツにネクタイな格好で式典開始前から会場周辺をうろつき、メジャー

おこりだいまじん

話は中学時代の友人のH君がリアルホビーだか海洋堂だかビリケン商会だかの大魔神を入手したことから始まります。 H君は手先が器用な人で模型作りでバルサで1mの戦艦大和を作ったりガチャポンで入手した消しゴムフィギュアを着色したりミクロマンを改造してフル稼働のガンダムを作ったりする人でした。 宇宙船の大魔神フルアクションモデル制作の記事を見て型取りしてアニメモデルを作ったH君はこれで何か作れないかと兄に8ミリカメラを貸してくれないかと相談に来ました。 兄は高校の後輩になるH君に喜んで