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子どもの癇癪伴走物語 No.2 暗いトンネルの中を模索中

こんにちは。
9歳・6歳・1歳の男の子3人を育てているsatomiです。

前回に引き続き小学校1年生の次男の癇癪について書きたと思います。
次男の癇癪がひどかった怒涛の5月が終わり、随分私も疲弊してしまいましたが、6月も変わらず次男の癇癪は続いています。

状況としては、変わらずで…
自分が思うように行かないことに腹を立て、特に多いパターンは兄にちょっかいをだし、そこから始まる兄弟げんか。
次男は、9歳の長男の一挙手一投足の言動に対して過剰に反応し、心を乱し、私に長男を怒って欲しいと強く主張してきます。
それが、たまにであれば仕方がないと思えることも、毎日毎晩行われると正直、心底疲れてしまいました。
理想だけ言えば、2歳しか違わない長男と揉めることなく、2人でお互いを助け合ったり、サポートできる関係性だったらどんなに楽だったか。
どうして我が家だけ、けんかがたえないのだろうか…。
そんな気持ちを抱え、思い悩んでしまうことも多かった6月。

根底には次男を分かってあげたい、まるごと認めてあげたいという気持ちを強く持っていることは揺るがないのです。
そして、次男こそ、私以上にどうしていいか分からない苦しい気持ちを抱えているのだということも。
それを「癇癪」として表出しているのでしょう。
私だって本当は救ってあげたい。
ですが、頭では分かっていても、私も母親だけではなく、生身の人間なので感情を持った生き物なのですよね。
冷静さを失い、感情的になり、子どもへの怒りが抑えられなくなる時もあるのも、これまた事実。
私の感情的な対応は、次男にとっては、火に油といった感じで、さらにお互いにヒートアップ。(とほほほ…)

理想を言えば、いつもニコニコしている、子どものことを第一に考え、優しく受け止め対応できる母親でありたい。
しかし!現実は、目を吊り上げ、子どもをどなっているしまう、理想とは大きくかけ離れている今の姿があるのです。
こんな自分がいるんだなぁと醜い自分に直面し、私の自己肯定感も下がる一方で、正直に言うと育児がしんどい。
心の底では、ただただ、穏やかに暮していきたい、それだけなのに。

「育てにくい」そんな言葉を使えば一言で終わるけれど、この次男の育児を通して、私に与えられている越えなければならない課題があるのではないかと最近は思うのです。
私は神様から、どんな使命を預かっているのでしょうか。
本当に子どもを信じれる母親なのか、どの程度の愛情を持っているのかを試されているような気になるから不思議ですね。

そして、この状況を俯瞰することで痛切に感じることは、このままではやはり良くないということ。
次男のためにも、そして周りの家族のためにも。
今こそ立ち止まり、守らなければいけないこと、大切にしなければいけないことを考える時期なのだと思っています。
箇条書きで今の状況を書き出してみました。

1.次男がどのような時に癇癪を起すのか

・長男が思うように構ってくれない時
・私が時間でせかしている時

ここで思うことは、長男と私が望むように応じてくれない寂しさがあるのではないだろうか。分かって欲しい、認めて欲しいという気持ちが人一倍大きいのではないだろうかということです。
やはり兄に追いつきたいという気持ち、そして僕だけを見て欲しいという欲求、そこを満たしてあげられるような働きかけが必要なのではないだろうかと考えました。

2.次男が苦手とすること

・時間で動かなければいけない
・今やっていることを手を止めて、他の行動に切り替えること

目の前の「今」に熱中してしまうのが次男なのですよね。
そこからの切り替えが難しい。
ある程度先の事を予測を持って教えてあげることがやはり必要。
だけれど、学校から帰宅後は限られた時間の中で、宿題もあり、次の日の準備もしなければならない。
そして、それをゆくゆくは自分で管理していく必要が出てきます。
どのように声がけをし、サポートすることが次男にとってベストな方法なのかを探って行くことが喫緊の私の課題。

3.改善が必要なこと

・生活リズムの見直し
 宿題や明日の準備・お風呂が21時を過ぎてしまうことで、結果、就寝が22  
 時近くなり、翌朝も起きれず、朝ご飯もしっかり食べれないで学校に行く 
 こともあった

4.癇癪の対応でうまくいったこと

一度だけ成功したことは、癇癪を起している最中は、ひたすら声もかけず見守りに徹し、反応もせず、近くからも離れておく。落ち着いた時に声をかける。
⇒気持ちを立て直して笑顔で無事に学校に行けた

先日、玄関訪問(家庭訪問)の際、担任の先生とのお話では、学校では、問題行動を起こしていないことも分かりました。
友達に手をあげることも、癇癪などをして困らせることも無い。
ただ、時間で動くことに対して、集中力が途切れる時があるとのことでした。
きっと、ザ・マイペースな次男なので、決められた時間で動くことが苦手なのに、学校では集団生活になじめるよう精一杯頑張っているのでしょう。
その反動で、疲れも嫌な気持ちも発散する場所として、家で感情を爆発させているのかもしれません。
そうやって思いを馳せることはできるのですが。

きっと今が、我が家にとって、そして私にとっても試練の時なのだと思います。
いつまで続くか分からない暗くて長いトンネル。

だけど!
きっと光が差し込むことを信じたいのです。
大丈夫、だって私のお腹の中から出てきた子なんだから。
今までだって沢山の愛情を持って育ててきたのだから。


「家庭は絶対的な安全基地」
認めてあげること、心を寄り添ってあげること、頭では分かっているのに、なかなかできない自分にガックシなのですが…。
でも、頑張ってみます。
彼がこれから進む場所で少しでも生きやすくなるように、私ができることは、何でもやってみようと思います。

そして「癇癪」をキーワードに色々と調べてみると、「ひといちばい敏感な子(HSC)」という気質があり、その中に一定数外交的な子がいることが分かりました。書籍を読めば読むほど、まさに次男のことのよう。
この気質については、次回以降投稿してみようと思います。

最後に私がいつも育児に迷い悩む時には、児童精神科医として多くの子ども達と関わってきた佐々木正美先生の書籍を開きます。
正美先生は、どんな子であっても、目の前の子どもの絶対的な味方です。
だからこそ、辛い時こそ正美先生の言葉がホッカイロのように私の心を温め、励ましてくれます。

親というのは不思議なもので、手のかからない子に手をかけなくなってしまうものなのですね。
手のかかる子たちは、親の手が伸びるような、そのようなふるまいをしてくれているわけです。
自ら必要なものを手に入れる努力をしているとも言えます。欲しいものを欲しいと言える、強い子なのです。
そして「お母さんやお父さんなら、必ずこたえてくれる」という信頼感があるからこそ、「手をかけてくれ!」と主張するのですね。この激しい感情は、信頼できる人にしか向けられないものです。

佐々木正美 『「育てにくい子」と感じたときに読む本』26-27

今育児に奮闘されている皆さん、一緒にがんばりましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。


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