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歩くパンセ

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歩く人の思索です
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#歩く人

競争のない世界は、どんな世界なのだろう

いつからだったか、僕は競争が心底嫌いになった。 多分、大学を出て最初に就職したときからだったと思う。 ある通信社に新聞記者として就職し、地方の支局で始まった記者の一年目。 そこはすべてが凄まじい競争の世界だった。 一分、一秒をかけて他社よりも速く情報を伝えることが最大の成果だった。 5分後に発表されることを、5分前に伝えることが特ダネだった。 速く、とにかく速く。 早朝から深夜まで競争に明け暮れた。 深夜も当番があり、自宅に引いたファックスに当局からの情報が送られてきて、寝

風の涼しさを五感で感じる日~夏の始まりに、江の島を歩く~

梅雨が明けて、夏が始まりました。 その夏の始まりの日に、もう何回目か覚えていないのですが、湘南の散歩屋さんを江の島で開催してきました。 江の島での開催は初めてです。 鎌倉~江の島コースはあるのですが、江の島の中までは入らないので、今回は江の島を散策しようという趣旨です。 以前湯河原のイベントでご一緒した方がお声をかけてくださって実現し、なんと3名もの方が集まってくださいました。 こじんまりとやっているので、3名も来てくださるのは久しぶりですね。嬉しいことです。 江の島は階

歩き、見、聴き、食べ、感じ、考える

丁寧に包まれた笹の葉を広げると、濃厚な海苔の香りが鼻をくすぐる。 細かく刻んだ紫蘇の葉をご飯にあえて、薄く塩をまぶした大き目のおにぎりが二つ、ゴロンと不器用な形をしている。 不器用な男の手で握ったのだと主張しているような佇まいがまた、何とも言えない食欲をそそる。 付け合わせの浅漬けのキュウリが良い緑色をしている。 参加者の方が、ランチのためにおにぎりを握って来てくれていたのだった。 約半年ぶりに、三浦半島を歩いた。 京急三崎口駅から三浦半島の西側を回る。森を迂回し、油壷を抜

生産性と効率の向上は人間に「豊かさ」をもたらすか

テクノロジーの恩恵として最も大きなものに「速度」がある。 ここで言う速度とは、地上に存在する2点間を最短の時間と距離で結びつけることだ。 例えば鉄道。 鉄道の価値は、駅と駅の間を最短時間で人や物を運んでくれることにある。 飛行機なら、空港と空港の間。海を越えて大陸間をことが可能になる。 インターネットは光の速度でネットワークに繋がっている人々を一瞬のうちに結び付ける。 僕が子供のころ、こんな話を聞いたことがある。 「ロボットの普及によって、人間の仕事をロボットが代替してく

歩くことについて語るとき、僕が語ること~歩くことに関して言えば、誰もがアマチュアである~

「歩く」ということに関していえば、プロフェッショナルは存在しないと僕は考えている。 あくまでも日常にありふれている、普段の歩行について。 「歩く」という意識すらすることなく、誰もが当たり前に行っている、左右の足を交互に踏み出して移動する行為について。 いつだったか、散歩をしていて、ふと「歩くことは誰もがアマチュアだ」という考えが浮かんできた。 世界にこれほどまでにありふれていて、人類が生まれた瞬間から今日まであまりにも長い歴史を持ち、誰もが無意識に行える習慣と化している

ひとりの身体の中にも、人生の出来事の中にも、小さな生と死の循環が常に起きている

「波はどこから来るの?」 童心に帰って裸足で歩いてみると、普段は気にならない目の前のふとした現象がとても不思議に感じられて、それを素直に言葉にすることもできるようになるのかもしれない。 雨の砂浜を裸足で歩きたいという素敵なリクエストにお答えして、久しぶりの「湘南の散歩屋さん」開店です。 雨は小降り。 レインコートを着て、ズボンのすそを捲って、もういっそのこと思い切り濡れてしまおうという意気込みで、雨の海岸線をゆっくり歩きます。 この日の湘南は、たくさんの漂流物が打ち上

世界の歩みを想像してみる~海辺で小石を拾う~

ここ最近、海辺を歩いていると、程よい大きさの石ころが水たまりのようになってあちこちに固まっています。 どこから運ばれてきたのか。 ほんの一か月前の砂浜には、こんな石だまりはなかった。こうしたものをみつけるにつけ、海はいつも変化しているのだなと感じることができます。 僕は水切りが好きなので、程よく削られた平べったい石を拾って、誰もいない海に投げてみます。 波と波の間の、海がちょうど平らになるタイミングを見計らって投げないと、小石は波にのまれてしまいます。いくつかの石を拾って

痛みの先まで歩むとき、あなたに静寂が訪れる

歩き方はそれぞれ自由で良いし、気の向くままで良いと思っている。 けれども、もし僕が「どんな歩き方をしたら、ぜんさんの言うような自分自身の内面を見つめ、自分の声を聴くことができますか?」と訪ねられたとしたら(そんなこと聴いてくる人はいないけれども)、ぜひ試してほしい僕のおすすめの歩き方がひとつある。 それは「痛み」を感じながら歩く、ということ。 歩けば疲れる。太ももや腰のあたりが段々重くなって、次第に痛みを感じるようになる。膝や関節が痛み出すこともあるし、足の裏がすれてヒリ

「歩くために歩く」とは言葉にならない世界を言葉にしないまま生きる覚悟をすること

先日27日の土曜日、第10回「湘南を歩く人」を久しぶりに開催しました。 「天園を歩く人」と題して、鎌倉の北側を囲む山々の尾根沿いの道を歩きました。 「湘南を歩く人」、緊急事態宣言中は故あってお休みしていましたが、いつの間にやら春になっていたようです。 この間は、色々なことをじっくりと考えたり、悩んだりしていました。 それは言葉にすると溢れ落ちてしまう何かについて、だったように思います。 あるいは、言葉が切り落としている世界の広さについて。 そうした曖昧さに自然と目が向い

新しい道を拓く歩みは、特別なものではない~第8回湘南を歩く人~

実はここ数日軽く体調を崩していた。 やるはずだった仕事が何も出来ず、明るい時間帯のほとんどをベッドに横になって、寝るとも起きるともなく、ぼんやりとしていた。 時々ふと起き出して、本を眺めたり(読んではいない)、何か文章を書くなどしていた。 昼寝は夢とセットだ。 明るい光が夢を誘発するのか、その短い数時間の午睡は、いつも僕に夢を見せる。 僕の場合、夢をみたい時は、昼寝をすれば良い。あるいは朝6時くらいの早い時間帯に起きて一度トイレを済ませてから、ベッドに戻って9時過ぎくらい

「湘南の散歩屋さん」という試み~新しい世界を見つけるために~

今年10月、ひょんなことから「湘南の散歩屋さん」を始めることになり、慌ただしく3ヶ月が過ぎていった。 これが今年最後の記事になると思うが、僕が「湘南の散歩屋さん」に込めている割と真面目な思いを書いておこうと思う。 「湘南の散歩屋さん」では、「ただ歩くために歩く」をテーマに、参加者の皆さんと、ただ歩くために歩く会(湘南を歩く人)を開いてきた。 目的を持たず、歩くことそのものを目的として歩くという、ある意味で無意味に見える会を、7回も開かせていただいた。 たくさんの方と出会

見聞きした世界を、歩いた世界に変えていく~第7回湘南を歩く人~

よく晴れた25日の金曜日、「三浦半島を歩く人」を開催しました。 約20キロの道のりを、4時間半歩き通しました。 これは普段の鎌倉~江ノ島ルートの2倍の距離です。 健脚な参加者Nさんのリクエストで、京浜急行三崎口から南へ。 都心からわずか1時間の場所にある、静かな暮らしが広がる風景の中を、ふたりでゆっくりと歩きました。 三浦半島の西側。小網代の森という、原生の木々に囲まれた谷あいの湿地は、野生の植物、カニ、ウズラなどを見ることができます。 車の音も聞こえなくなり、風が枯れ

歩くことで救われる心がある~冬至の夕暮れに多摩川沿いを歩く~

12月19日(土)は「多摩川を歩く人」を開催しました。 多摩川駅をスタートして、多摩川沿いを北上。ゆっくり川沿いを歩いたら、ちょっと寄り道で住宅街に突如現れる渓谷へと入っていきます。 等々力渓谷という不思議な空間なのですが、ここは渓谷内にある滝が轟いたことから、等々力という地名の由来になった地でもあるそうです。 由緒が書かれた看板をなるほどと眺めていたら、下の方に「この看板は皆様の郵便貯金と簡易保険のお金で建てられました」と書いてあり、唸ってしまいましたが(笑 さて、昨

山の散歩道を探して~僕らは鎌倉探検隊~

僕が湘南の散歩屋さんで案内する散歩道は、基本的に僕が一度歩いてみた道です。 まずはひとりで歩いてみて、安心してみんなを案内できるか、歩くために歩く体験をきちんと伝えられるルートかどうかを考えてみる。そして最後は、何よりも歩いて気持ち良いルートかどうかで、散歩屋さんルートに採用するかを決めています。 いまのところ、3つの散歩道があって、 「海の散歩道」鎌倉~江ノ島ルート 「砂浜の散歩道」湘南の砂浜ルート 「川の散歩道」多摩川沿いルート これらのルートで、僕が皆さんを湘南にお