映画『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』はジョーカーといという概念によって誕生した3人のヴィランの物語
2024年10月11日公開。映画『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』
前作の映画『ジョーカー』は第76回ベネチア国際映画祭で金獅子賞、第92回アカデミー賞で主演男優賞を受賞し快挙を成し遂げた。
しかし、続編となる本作品はアメリカの批評家や観客から酷評を受けた。
筆者も本作品に対する酷評の数々や、公開から2週目にも関わらず映画館ではガラガラの客席のなかで鑑賞し、観た直後は前作のジョーカーに対しての期待を裏切られたような感覚に陥った。
だが、ホアキン・フェニックス演じるジョーカーの骨ばった体つき、何を考えているのか分からないいつ人を殺すか分からない凶悪感は素晴らしかった。
レディーガガ演じるリーの存在感も、本作品のいいスパイスとなっていた。
映画を観た直後は分からなかった本作品の魅力が、ようやく分かってきたので、解説していこうと思う。
ここからは本作品の重要なネタバレに触れるため、まだ観ていない方は本作品を観た上で、ここから先を読み進めていただきたい。
ここから解説する筆者も知らなかったポイントに気づくと、本作品の面白さは倍増するだろう。
それでは、ここからネタバレありで解説を始める。
誕生したヴィランと「ジョーカー」という概念
本作品では「ジョーカーという概念」と、3人のヴィランが誕生したと考えられる。
この考察について製作者や出演者が明言している訳ではいないので、これが事実かどうかは観客に委ねられている。
「ジョーカーという概念」と、3人のヴィランとは誰なのか。
リー・クインゼル/ハーレイ・クイーン
前作で生放送中に殺害を犯したジョーカーに一目ぼれし、ジョーカーと恋愛関係に落ちるリー。
リーは後にハーレイクイーンとなる。
リーが恋をしたのは、アーサーではなくジョーカー。
劇中でも「本物のあなたが見たい」と、アーサーにピエロのジョーカーメイクを施すシーンからも、リーはジョーカーであるアーサーが好きだということが分かる。
アーサーが法廷でジョーカーとなり、看守を罵倒したことが原因で、アーサーは看守たちに服を脱がされひどい仕打ちを受けた。
さらに、アーサーを援護する若い囚人に苛立った看守は、若い囚人を殺してしまう。
アーサーはこの出来事をきっかけに、自分がジョーカーになっても弱者がひどい仕打ちに合う世の中は変わらないと察し、次の法廷で「私はジョーカーではない」と伝える。
アーサーがジョーカーで在り続けることを諦めたことをきっかけに、リーはジョーカーではなくなったアーサーに別れを告げる。
ジョーカーと別れたことで、後にバットマンシリーズに登場するハーレイクイーンが誕生した。
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ハービー・デント/トゥー・フェイス
本作品では、アーサーを追い詰める若い検事の存在が際立っている。
過去のバットマンシリーズを観たことがあれば、ご存じの人も多いだろう。
この検事は、後にバットマンシリーズに登場する「ハービー・デント」だ。
アーサーを追い詰め、有罪が確定した法廷で、何者かにより法廷が爆破されてしまう。
このシーンで被害にあったハービー・デントは、顔の半分を負傷しバットマンのヴィラン「トゥー・フェイス」が誕生したと憶測できる。
本作品を観ただければ分からない、このような推測を知れば、本作品の面白さは倍増するだろう。
新たなジョーカー
『ダークナイト』のヒースレジャー演じるジョーカーを観た後に、前作のホアキンフェニックス演じるジョーカーを観ると、本当に同じジョーカーなのかと疑問に思うところがあった。
『ダークナイト』のジョーカーは極めて暴力的な異常者だが、本作のジョーカーは根は心優しい。
さらに『ダークナイト』のジョーカーは口が裂けているが、本作のジョーカーはピエロのメイクだ。
この疑問が、本作品のラストシーンで解消された。
「私はジョーカーではない」と打ち明けたアーサーは、ラストシーンで若い囚人に「報いを受けろ」という台詞と共に殺されてしまう。
これは前作でアーサーが生放送で殺人を犯したときに放った台詞と同じだ。
本作の冒頭のアニメーションは、ジョーカーは自らの影に侵食されてしまうという内容になっている。
これはジョーカーの崇拝者たちによってイメージ付けられた「ジョーカー」という概念に、アーサーが侵食されてしまう未来が考察できる。
ジョーカーの崇拝者だった若い囚人は、ジョーカーであることを諦めたアーサーを葬った。
そして、ナイフで刺されたアーサーの背後で高笑いをしながら、自らの口をナイフで裂いていく描写がある。
これは、後にバットマンの宿敵となる、新たなジョーカーの誕生と考えることができる。
ジョーカーという概念
アーサーは、ジョーカーを支持する崇拝者たちに応えようと、ジョーカーとして派手に暴れようと試みる。
しかし、ジョーカーのイメージはリーを始めとする崇拝者たちによって大きくなり、アーサー自身が追い付かなくなる。
アーサーも支持されているのは自分自身ではなく、ジョーカーであることに気づき、ジョーカーとして生きることを辞めた。
ラストシーンで「ジョークを聞いて欲しい」と近づいた若い囚人の話を聞く姿は、心優しく温かみがあり、ジョーカーになる前のアーサーの人格が残っていたことが分かる。
ジョーカーではなくアーサーとして生きることを決めたことで、アーサーはジョーカーの崇拝者のひとりに殺害されたが「ジョーカーという概念」はゴッサムシティに根付いているため、ラストシーンでアーサーが死んでも新たなジョーカーが生まれたと考えられる描写で物語は終わった。
つまり、ジョーカーとはアーサー自身ではなく、ゴッサムシティの人々が作り上げた悪のカリスマ的な概念だったと考えられる。
作品情報
キャスト
あらすじ
まとめ
本作品は視聴者によって見え方は変わるが、筆者は「ヴィラン誕生の物語」として見ると、素晴らしい作品だと感じた。
また前作でアーサーの母親は、実業家トーマス・ウェインと男女関係にあったと話している。
トーマス・ウェインが実の父親かどうか確かめに行ったアーサーは、トーマス・ウェインに「そんな事実はない」「私の息子に2度と近づくな」と追い出されてしまう。
この時に現れたトーマス・ウェインの息子、後にバットマンになるブルース・ウェインだ。
本作品に登場するキャラクターが、後に『ダークナイト』や『ハーレイ・クイーン』に繋がっていることを知った後に本作を鑑賞すると見え方も変わり、筆者が本作品をおすすめする理由が分かっていただけるだろう。
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