「映画」がすべての軸にある僕の人生の過去と今
僕の人生は「映画なしでは考えられない」と言えるほど、幼少期に観た映画に人生の選択を導かれ、何かあれば映画を観て支えられてきました。
今回は僕にとっての「映画」とはなにか、そして「映画」にまつわる僕の人生についてまとめていこうと思います。
映画と共に育った幼少期
まずは映画との出会いと、映画と共に育った幼少期のエピソードを紹介します。
映画との出会い
僕が映画を好きになったきっかけは、映画が好きな父親の影響です。
映画を観る時間が好きで、小中学校のときはテレビで放送されていた映画を観ることが毎日の楽しみでした。
どのくらい楽しみにしていたかというと、木~日曜にかけて毎日21時から放送される映画のラインナップが早く知りたくて、毎朝起きたら新聞のテレビ放送欄をチェックすることを日課としていたほどです。
当時は『ターミネーター』『MIB』『ミッションインポッシブル』といった、アクションものの映画が好きでした。
当時は特にシルベスター・スタローンさん、ウィル・スミスさん、トム・クルーズさんの大ファン。
彼らのように好きなハリウッドスターの最新作、大好きな作品の続編が放送されるときは、テレビ放送が始まる21時が待ち遠しくて仕方ありません。
映画が始まる前に放送されていた野球が延長になったときは、居ても立っても居られず「早く終わってくれ!」と願っていました。
映画を録画していたのに野球が30分延長になって、録画した映画のラスト30分が録画されていなかったときは、人生が終わったように感じたことを鮮明に覚えています。
高校生に入ってからは、休日はTSUTAYAで気になるDVDを数本借りて、映画漬けの週末を送っていました。
映画館で観る映画
初めて映画館で映画を観たのは、中学2年生のときです。
映画好きな友達に「映画を観に行こうぜ」と誘われ、自転車を漕いでイオンにあるMOVIXまで出かけました。
そのときに観た映画は、初期のトビー・マグワイア主演の『スパイダーマン』です。
冒頭の「20世紀FOX」のファンファーレが耳と心臓に響き渡り、これから始まる映画の世界へのわくわくが止まりませんでした。
映画館で映画を見終わった時には、新しい世界を知ってしまったような胸の高鳴りが止まらなかったことを、今でも覚えています。
映画に携わる仕事がしたい
物心ついたときには「映画に携わる仕事がしたい」と思いはじめていました。
高校1年生の夏休みに、東京へオープンキャンパスに行くことに。
なぜオープンキャンパスへ行ったかというと、大好きな映画と得意だった美術のスキルを活かせるCG(コンピューターグラフィック)の体験をやるためです。
CG体験をやってみると、少しイメージとは違い、自分に合っていないと感じました。
そのとき知り合った、見ず知らずの先生に「キミは俳優に向いている」と背中を押されたことをきっかけに、俳優になることを志しました。
映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』を映画館で観た時には、ジョニーデップ演じるジャック・スパロウが海賊船に乗って旅に出るシーンがかっこよく、冒頭5分以降ずっと涙が止まりませんでした。
僕も現状を変えて、外の世界に出るべきだと思ったのです。
思い切って海外へ住もうと考え、英会話のAEONで英語を習うことに。
しかし、あまりにも英語が苦手すぎたため、海外進出はストップ。
とりあえず日本の中で行くとしたら東京しかないと考え、高校を卒業したら東京へ行くことを決めました。
映画を仕事にする
東京へ上京してからは、どうやったら映画を仕事にできるか考え、色んなことにチャレンジし奮闘する日々でした。
映画出演
高校卒業と同時に東京へ上京し、日本映画学校へ進学。
そこで知り合った友人と一緒に、現場での経験を積もうと、映画のエキストラへ応募。
エキストラ参加した作品は、映画『デスノートthe Last name』でした。
僕が参加した大学のシーンの一場面では、藤原竜也さん・僕・戸田恵梨香さんという、まさかの3ショットが実現しました。
しかし、映画館でスクリーンに映った自分を見てみると、隣にいる藤原竜也さんとはカッコよさのレベルが雲泥の差。
クラスの中で一番カッコいいレベルの人がうじゃうじゃといる、俳優の世界で勝負するのはルックス的な厳しさを感じました。
「好き」を仕事にするということ
俳優業は6年間取り組んで、いろいろと考えた結果、辞めることにしました。
一番の理由は、僕が大好きな映画を観ることが、純粋に楽しめなくなったからです。
俳優事務所に所属していたときに、映画を観た記録をノートに記録するという宿題がありました。
映画を単純に観て楽しむのではなく、映画を観て俳優として何を学んだか記録する日々。
映画を観た話をすると「誰のどんな演技が良かったか」について、話さなければいけない。
「俳優として学びを得るために映画を観る」ようにすると、映画を純粋な気持ちで観れなくなり、映画を観ても心が動かなくなっていました。
俳優業を辞めてから映画を見ると、心から感動でき、僕は「映画に出演すること」ではなく「映画を観ることが好き」だということが分かりました。
映画を読んで記事を書く
俳優時代は勉強もかねて、一番多い時は年間200本映画を観ていましたが、それからは最新の映画を月に1回映画館で見る程度にしています。
そして、数年前からこちらのnoteに、映画を観た記録としてレビュー記事を書くようになりました。
俳優としてではなく、視聴者として映画を観て、映画の良かったところを記事にまとめて紹介することは好きでした。
僕が書いた記事がGoogle検索上位に表示されることに、喜びを感じます。
Webライターになった今、映画メディアと契約し、今では映画を観た記事を書くことを仕事にできるようになりました。
映画に関わる仕事をしようと決めた15歳のときから約20年後の今、巡り巡って映画を仕事にすることができ、記事を書くたび幸せを噛みしめています。
まとめ|僕にとっての映画とは
僕にとっての映画とは、大きくまとめると3つあります。
将来の希望
リラックス法
仕事
幼少期の僕にとって、映画は「将来の希望」でした。
映画を通して見たことがない世界を知り、様々な仕事を知ることができたのです。
僕の原動力の源は、いつも映画が軸にありました。
今の僕にとって映画を観ることは、リラックス法のひとつです。
僕はごはんを食べるより、寝ることよりも、映画を1本観たほうが満たされます。
そして、Webライターとしての仕事のひとつです。
これからも僕の人生にとっては欠かせない映画のすばらしさを、世に広めていけるような記事を書いていこうと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!