小さな旅・思い立つ旅|美と神秘の漲溢した山里[白州正子のかくれ里を訪ねて]
何となく感じているフワッとした思いを
ハッキリと言語化してくれる気持ちよさ
いろんなところに旅して、この雰囲気とってもいいなぁと思うことは、それなりにある。いいと感じる共通項もなんとなくあるんだけど、フワフワしててうまく言語化することはできない。
そんなときに出会った「かくれ里」という言葉。能、絵画、陶器等に造詣深い白州正子が、名文で迫る紀行エッセイのタイトル。世を避けて隠れ忍ぶ村里。かくれ里。まさにこれ。
白州正子と紀行文
文学、骨董、工藝、歴史、風土、文化の世界に浸かり、各地を旅する紀行文は、どれも最高に面白い。自然が語りかける言葉を聞き、日本の古い歴史、伝承、習俗を伝える。
"あの端正な白鳳の塔を見て、私ははじめて石の美しさを知った"
かくれ里の読後、絶賛していた石塔寺をすぐ見に行く。期待に違わず、圧巻の一言。長い長い石の階段を上った先に広がる、何万という数の五輪塔や石仏の群が埋めつくす風景。日本ではないどこか別の国のよう。
ということで、白州正子の紀行文をめぐる旅。かくれ里でもどうでしょう、という話。
美と神秘の漲溢した山里
滋賀|湖北の水面
静かな湖畔、神秘の竹生島、秘境の余呉湖
琵琶湖の北。西は比良山をはずれて安曇川を渡る頃。東は長浜をすぎて竹生島が見え隠れするあたり。伊吹山を東に望み、葦の生い茂る湖上に漂う霧と水鳥の声。幻想的な風景がひろがるところ。
竹生島は遠くから眺めると、古墳に見える、と白州正子はいう。神が住む聖地に仏教が入ってきて、神仏混淆の島となる。古墳時代の文化が根を降ろしていたから、自然の成り行きであったろう、と。
京都|花背の火祭
観光ではなく、古代のままの幻想的な火の神事
上賀茂を北へ、鞍馬の先の峠を越えると花背に辿り着く。古代のままの火祭が残っているところ。花背の松上げ。
高さ20mの灯籠木をめがけて火種を放り込む。火種は油の多い松の芯で紐がついている。紐を回して20m先の籠へ投げ込む。いくつもの火種が投げ込まれるうちに、徐々に灯籠木に燃え移り、火が大きくなる。
観光とはまったく関係のない、太古の昔から受け継がれる幻想的な火祭り。
奈良|吉野の川上
熊野古道を歩き、龍神が棲む高見川を望む
大和へも河内へも伊勢へも近く、南は熊野へ通じる。桜で有名な吉野山はほんの入り口で、大峰山脈が南へ広がる屈指を極めた歴史が秘められている。
秘められたものには魅力がある。西行も芭蕉も谷崎潤一郎も、まだ見ぬ花をたずねて、吉野に入ったという。
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