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明日は明日の風が吹く
かよこさんは新米お母さんです。
まだ今のような制度が整っていない時代だったので、地方公務員として働くかよこさんには、育休がありませんでした。
仕事を続けるためには、出産後1ヶ月半でフルタイムの職場へ復帰するしかありませんでした。
この時期は夜間の授乳で、母親はみんなブツ切れ睡眠が普通。朦朧とする頭で昼間は男性に混じって普通に仕事です。
体力的にもしんどかったですが、何より初めての子育てをしながら仕事もこなすという緊張感が大きかった。プレッシャーを感じる日々に精神的に疲労していきました。
赤ちゃんはなかなかミルクを飲んでくれない子でした。
朝、園に送り届ける前にちゃんと飲ませてから出発したいけれど、こちらのタイミングでミルクを飲んではくれません。
「あぁ、今日もこの子がお腹を空かせたまま出発しないと…」
自分が家に居られたら好きな時間にミルクを飲ませてあげられるのに。と、思うと、園に向かう車内で涙が頬をつたいました。
そんな日々を続けていると、かよこさんの身体はだんだんと不調をきたしていきました。
ある日、車を運転していると突然どうしようもない不安感に包まれたのです。
「その角を曲がったら大変なことになる・・・」
根拠のない不安によって気が動転し、心臓がドキドキ鳴って飛び出しそうでした。
かよこさんはパニック障害を起こしてしまっていたのです。
仕事が終わって子どもを園に迎えに行くと、他のお母さんたちもたくさんお迎えにきています。そのお母さんたちを見ては、
「この人たちはみんな仕事もして子育てもちゃんとしていて、本当にすごい。私はなんでこんなに弱い人間なんだろう。もっとちゃんとしないと・・・」
急に襲ってくる不安を振り払って、私は大丈夫と言い聞かせ過ごす日々でした。
ある日、夕方仕事が終わると何か緊張の糸が途切れたかのように涙が出て止まりません。
かよこさんは車でひとしきり泣いた後、子どもをお迎えに向かいました。
涙が心を柔らかくしてくれたのか、園に到着したかよこさんは、ちょうど居合わせたお母さんに弱音を漏らしました。
「毎日、本当大変です。」
子ども同士が仲良くしているお母さんでお互いを知ってはいましたが、普段は挨拶程度にしか話さない小児科の女医さんでした。
仕事でも子どもを診ていて、先生というハードな職業をこなしているお母さんだから、何かいいアドバイスや励ましをくれるかもしれない。と、かよこさんは内心思っていました。
でも、思わぬ返しがきました。
「本当に大変です。私なんて、今日のことしかもう考えられません。明日のことなんて、怖くて考えられないですよ。」
かよこさんはハッとしました。
すごい人だと思っていたスーパーお母さんのようなこの人も自分と一緒だったなんて。
みんなその日を乗り切るので精一杯なんだ。
どんな的確なアドバイスよりも、心からの共感の言葉はかよこさんの気持ちに寄り添い、励ましてくれました。
「明日は明日の風が吹く」
帰りの車でかよこさんの頭に、昔どこかで聞いたそんなフレーズが浮かびました。
その言葉は本当に風のように、かよこさんの締め付けられていた胸を吹き渡り、爽やかな気持ちにさせてくれました。
子育てと仕事の両立に想定外のことがたくさん起こる日常を必死でもがいて生きるかよこさん。
そんな悪戦苦闘の日々で、張り詰めた心を手放す術を覚えました。
その魔法の言葉が「明日は明日の風が吹く」。
子どもが熱を出したり、お腹をこわしたり、仕事が終わらなくてヒヤヒヤしたり、自分も体調がスッキリしない日もあるけれど、
何とかなるよ。と前を向いていくのでした。