強い人を優しくするのは難しい。だから、優しい人を強くしたい。
下記のnoteで、組織において多様性は重要だし、体育会系のリーダーが多く、上意下達的な雰囲気の組織は、多様性の芽をつぶしやすいし、育みにくい、という話を書いた。
また、昨日ある20代女子と話をする機会があり、話が盛り上がり、人生論みたいなことまで色々話す中で。こんなに純粋で思いをもった人が、生きづらい世の中なのだな~(詳細は割愛)ということを感じたときに。どうしたら、もっとこういった若い子たちがそのままの姿でイキイキと生きて働ける世の中になるのだろう?とボーっと考えていた。
資本主義社会は、強いものが生き残り、弱いものは淘汰される。それは自然界でもそうであり、しょうがない部分もある。一方で、人間は弱いからといって、ライオンに食べられて死ぬわけではないので、弱い人も弱い人なりに生きていかなければならない。そこに人間の生きる難しさがあるように思う。
でも。
自分が気持ちの浮き沈みがあるタイプだからこそ思うのだけど。
強い人は常に強いとは限らない(いくらでも上はいる)し、弱い人は常に弱いとは限らない(いくらでも下はいる。苦笑)。強い弱いは人との関係性において相対的に判断されることであり、絶対的な強さというものは存在しない?ようにも思える。
また同じ人でも、強いときもあれば、弱い時もあることを考えると、やっぱり、人間世界も自然界と一緒で強いやつが勝ち、弱いやつは淘汰されるべき、とは思えなくて。
人間というある種動物界(例えばアフリカサバンナとか)に放り込まれたら、一人だったらすぐに食べられて死んでしまう弱い生き物なのに、他の人と連携して、火をたいたり、武器を作ったり、家を作って、知恵を出し合い、自然界のトップに立った人間だからこそ、動物にも自然にも、当たり前だけど人にも優しくできる世界を作らなければいけない義務があると思う。
では、そんな優しい世界を作ろうとしたときに、以下の問いには皆さんはどうこたえるだろうか?
タイトルにも(自分の考える)答えをつけてしまったので、あれだが。笑
「強く優しい人間を作ろう(育てよう)としたときに、まず強くあるべきか、まず優しくあるべきか?」という問い。
妻と息子の名前をつけるときに、私が「優しい子に育ってほしい」、妻が
「(人に優しくあるために)強い子に育ってほしい」と話し合ったが、どちらが先にあるべきかは、あまり議論してこなかった。
でも、いま社会人になり、人生40年生きてきて思うのは、「優しさ」が先じゃない?と思うのだ。
ふと思い出すのは、私が入社5~9年目で、労働組合の仕事を(業務の傍ら)していたときのこと。ある組合専従の人が、「組合の人は強くなくていい。(=優秀でなくて良い)。でも優しくなければならない」というような事を言っていて。私はすぐに「いや、経営陣とも理論武装して戦うことを考えると、優しくて強くなければいけないし、職場にいっても優秀である人が望ましいのでは?」と反論したのを覚えている。
でも、その専従の人が言っていたのは、半分あっていたように思う。
最終的には優しくて強いのが理想だが。どちらか一つをとるならば、明らかに人に対して優しい人、弱い人のために頑張れる人が、組合活動をする上で求められるスタンダードになる。
でも、私の組合時代の経験上、やっぱり優しいだけではだめで、寄り添うだけではダメで。相談されたら、寄り添いながら、自分の持っている全てをその人のために活用し、一緒にその状況を打開するヒントや勇気を与えられる強さは欲しい。そうしないと結局、寄り添ってはくれるかもしれないが、最終的にその人は一人ではその状況を打開できないし、状況が変わらないということになりかねないからだ。
時と場合によっては、社長や権限を持っている人を巻き込んで、その人たちの気持ちを動かして、その相談者を救う覚悟と勇気、強さを身に着けてほしい、組合の人には。私はそう思っていた。
そして、いま別の場面で。
私がいまサポートしている営業組織は、社内では一応トップオブトップの営業が集まる組織になっている。得意先はリテーラーの王者たちを相手にする組織だから、そういう優秀な人を集めて、対応する必要があるのだ。
その人たちは社内での競争を勝ち上がってきた人たちなので基本的に強い。営業力や仕事力もそうだし、それを支えるメンタルも鉄や鋼のようだ。笑
でもそれがnote「強く優しい営業組織をつくりたい」でも書いたように。
どうしても体育会系の「俺のように強くなりな。無理なら降りな」的な風土を作ってしまうと、なかなかそこに馴染めない若手社員が多くいるのも事実。
だから、本当は、この強い管理職たちにも、「おれのように強くなりな」では、組織が強くならないことを理解してもらい、「色んなタイプの人がいていいし、色んな発想で一人一人を活かした組織になろうぜ」という考えに変わってほしいな、と思うだが。
それって結構難しいよな~。強い人は、自分の成功体験が強烈なだけに、どうしてもそれを相手にも求めてしまうというか、弱い立場のことを理解できないというか。そういう部分はあるように思う。(厳しく育てられた子供は、自分の子供にも厳しくしちゃうみたいな。苦笑)
でも、たまに弱い人が強くなったケースというのがあって。
その人は弱い立場で、苦しんだだろうし、きつかったと思うけど。
そこから立ち上がって、強くなった人というのは。
それだけ弱い人に寛容になれるし、弱い人を助けられるし、その人が成長するのを応援したいと思えるし、そのうえで、その人を守るために強い人とも戦える。(私の尊敬する前組合委員長がそんな人だった。でも、そういや、あの人弱い時代あったのかな?と思えるくらい強いけど。笑)
そういう弱い人を強く出来る人、それを待てる人、寄り添える人。そういう人がもっとリーダーに増えてほしいな。それは会社でもそうだけど、政治の世界でも、どこでも。
そうじゃないと。俺が俺がの人ばかりの世界はつらいし、搾取しあうし、結局優しくない世界を作る気がするんだよね。
優しくて強い人になりたいし、優しい世界をつくりたい。
強さばかり求められる世界から、あぶれてしまった人を救いたいし、その人たちの心に火をつけて、その人たちを強くして、一緒に仲間になって、新たな世界をつくっていきたい、小さくても良いから。
そんな青臭い決意をした昨日のこと。
一人でも多くの人が、生きづらさを感じずに生きられる世の中を、少しずつ広められますように。それに微力ながら尽力できますように。
アーメン。南無阿弥陀仏。笑
(無新教です。笑)