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映画『敵』──敵の消失
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みずからのXデイを決めている男の映画だというので観に行った。筒井康隆原作、吉田大八監督作品。モノクロで、画面サイズはヨーロピアンビスタ。モノクロ映画はいろいろと刺激があっていい。元大学教授でフランス文学の教鞭をとっていた男・渡辺儀助が夢と妄想を伴う生活を送っているさまを描いた作品。夏・秋・冬・春と進むのだが、その夢と妄想が著しく進んでいく様を描いている。この映画の裏主人公は儀助の棲んでいる家だ。吉田監督は、「あの家が、『惑星ソラリス』のように、料理や女性を登場させているのかも知れない(中略)時間と空間を超える特殊な場としてこの家が、儀助と同様に重要なメタファーです」と『シナリオ』誌のインタビューで答えている。
たぶん、この家のなかで起こっているのが、まさしく夢と妄想で、そのそとであった出来事は事実なのだろう。若い友人との会話、『夜間飛行』という酒場でのこと、金を貸して雲隠れされたこと。しかし家のなかに入ってしまえば寂しい独居老人の生活でしかない。いくら料理に拘っても食べるのはひとりきりで、ほかにはだれもいない。そして表面は繕ってみても、内面では人生に耐えがたいとおもっている。儀助は「ただ生き延びるために生きるってことを、どうしても受け入れられないんだよ」と吐露する。年齢関係なく、この科白には心を打たれた。5chの書き込みには以下のようなものもあって身につまされた。
246 名前:名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2025/01/26(日) 19:44:02.16
遺言書推敲する時点で、生きた自分への固執がすごいんだよな
死なんて怖くないさと嘯いてるけど、速攻検査受けるし、渡した金の行方を気にするし、家のもの何一つ捨てることできず挙句家の一部となるし
哲学者に馬鹿にされるタイプだ
わたしも遺言をよく書き直す。現実のいろいろなものに執着しながら、じぶんだけは好い死に方をしないとおもっている為体だ。ところでシナリオの最後を読んだのだが、意味がよくわからなかった。儀助の財産を相続する、従兄弟の長子・槙男が双眼鏡で家を観ていると、《二階の窓に儀助らしい人影、地面に落下する双眼鏡、槙男は消えている、カメラ引くと、親族達も消えている。そこに家がある》とあって、訳がわからなくなる。けっきょく《敵》の存在は大したものじゃなく、けっきょくは《家》の映画になっていて、この結末の解釈はともかく、《家》に縛られて成仏できない儀助の存在が憐れにおもえる。筒井康隆はパンフレットで作品執筆の動機として「年を取るのが怖かったから」と話している。儀助がその死によって救われたのか、ただ家の一部となったのかが、燃え殻のように感じられる映画だった。
わたしが鑑賞したとき、客席は満員で、ところどころ笑いも起こった。取り残された老人の最後の生というものに興味惹かれるひとたちがたしかにいるのだろう。この映画を『PERFECT DAYS』とむすびつけて書くひともいるし、老齢社会のなかでこのような作品が増えていくことこそが、われわれの現実にとっての『敵』なのかも知れない。
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追記、最後の場面について5chに書き込んだら返事があった。ようやく納得がいった。しかし安易に答えを求めてしまう、じぶんの想像力の限界も感じてしまった。
名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2025/02/14(金) 19:51:23.19
>>416
最後の場面は儀助が死んだ後の話かと思いきや
これも儀助の妄想でしたって事でしょ
妄想内の登場人物が儀助の存在に気がついた途端消えるのが面白い
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