『世界樹の断面』以後
一篇の詩は極まれり 画布をまたひるがえすのみ無名のひとよ
守一の猫たちどまる秋の雨いまだ降りをる窓を眺めて
だれに口惜しき過古ありぬ ぼくら係留場の反対にゐて
発ちさわぐかぜのなかから手を展ばす清掃人の貌また寂し
だれがだれを裁く 赫い花咲くところまで虜囚歩きつ
いずれかに道などあらじ湖水さえあらゆる苦を湛えるごとく
詩人の墓曝くように辞眼醒めたり その精髄を識る
泣き延びる 夜の託ふたみこと云い零したり菊の葉落ちて
口づけの一瞬を刳りぬいて食卓に置く シマアジとともに
秋祭 射的場に立つ子供らのライフル銃の照準寂し
死を謳う生者ありしや自裁さえできぬわが身を忘れたらしめ
紅わずか残るきみの唇よもっとも愛しくおもえり
なじみなき通用口を通されてやがて迎える秋の雛壇
イメージの水湧きぬゴダールの遺言とともに上映中止
かくしだてするものあらず天水の果てに流るる本番台本
せめて幾許かの赦しをと声がして改札口で禱る男ら
莇踏む バスの出発時刻なれど靜止したままの時計
なにへ寄す詞書きかと問うなかれ これは詞にあらぬ中秋
汎神に応えよ 沖流る競技用ボートゆれる潮で以て
答えとは赫い薬品 水ぎわの男たちすらきょうは悲しい
『病める子』の画布に重なる娘をりわれは見つむるわずかな季節
文鳥鳴きしきる隣人の室の外壁工事が終わる
光りのように輝く忍耐ありしもやがて砕けて阿部薫の肖像があり
フィードバック・ノイズあふる哀悼示せし大友良英の顔昏きかな
まだなのか恢復待ちぬ片足の跛ひきずるおれの靭帯
痛みはいつも新鮮だ 歩くおれさえ追い抜いてゆく
水燃ゆる音楽もあり 繋船の朝を慰む時の曳航
立ち狂う男や女子供らの声聞ゆかな陸橋のひと
夜泣きする射鹿のように深々と水をかぶれり永遠の夢
ディダバディと呪文を唱う風景を擬人化せし真午の月よ
かたっぽうだけ鳴ってゐるヘッドフォンの断線に晩年をば識る