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「新潮」創刊120周年特大号がおもしろすぎる

丸善へ。岸雅彦をパラ見して新潮を購入。文學界は平積み、新潮は残り一冊だった。

買った後、この雑誌が創作を志す人間にとってとんでもなく重要なものらしいことに気づいた。

人間がこんなにも馬鹿になったのは言葉に頼りすぎるからで、言葉で説明できなければ、目の前の人の痛みや悲しみどころか、自分自身の体の不調もわからないようになってしまった。

保坂和志『書く、前へ前へ』

これすげーパンチライン…

上に挙げた保坂さんの随筆のように、磯崎憲一郎、九段理江、星野智幸など創作に対しての随筆で心に残るものは多数あったし、それぞれが短いから回遊性があり楽しい。

この雑誌の中で、一番心に刺さったのが村田沙耶香の随筆「実験室の中で」。

村田さんの随筆を初めて読んだ。いや、実際には読んでない。村田さんが何度も前置きをしたように、この作品では性被害の内容が詳細に語られる。諦観のもとで殆ど諦めつつあった「人間である前に女性として見られ生きることの辛さ」を切実に突きつけられ、全て読み通すことが難しかった。
読了してないのにこんなにも心が痛く、手が震え、息切れするのは筆力のためなんだろう。村田さんが性暴力を書くと、こんなにも文章自体がえぐるような加害性を持つなんて。

「走って逃げられただろう?交際をしている相手とは対等なのではないですか?それはさすがに拒否できるでしょう?殴られたり、刃物で脅されたわけではないのでしょう?」

作中に出てくる、性加害を受けた女性にしばしば向けられるひどく無神経な言葉たち。
性被害で受けた傷は自分で癒すことが難しいと思う。蓄積しつづける。ただ、ごく一部の人に限っては、自分を癒すための言葉としては唯一救いになるものだと思う。「性加害を受けた圧倒的被害者の私」という自認をひっくり返し、「他人から与えられた不幸ではなく、自分が選択した」という理由づけができるのも、この言葉たちだけだから。

この作品は完全に凶器だと思う。まともに読んでない私でも傷ついてしまった。だからこそ前置きを丁寧にしてるんだと思うけど、現実のなかでニュースは前置きなんかしてくれない。津波の映像だけじゃなく、虐待や性加害のニュースに痛みを感じる人間はここにいるし、私の知人にもいる。惨事(私にとっては)をあつかうものがこんなに簡単に手の届くところにいていいものだろうか?と改めて考えさせられた。

新潮、ほんとうに買ってよかった……。
純文系で創作してる方おすすめしたい!


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