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日本の「バブル崩壊」は、アメリカが仕組んだ経済的クーデター(ショック・ドクトリン)

『ショック・ドクトリン~惨事便乗型資本主義の正体を暴く』の著者であるナオミ・クラインが言っている訳ではなくあくまで筆者の私見だが、実は、日本の「バブル崩壊」も人為的に引き起こされた「惨事便乗型資本主義」の実例なのだ。

ある国が米国の望む新自由主義的経済政策を採用しない、あるいは拒否する場合は、クーデターを起こしてその国の政府を倒し、米国の望む政策を実行する政府を作ってしまうというのが米国の常套手段。

例えば、アジェンデ民主政権をピノチェト将軍が武力でが倒した1973年のチリ軍事クーデター、ウクライナ戦争の遠因であるウクライナのオレンジ革命、所謂「アラブの春」による民衆扇動でそれまで長らく善政を施いていたリビアのカダフィを失脚殺害させ、チェニジアやエジプトの政権を転覆させたのも米CIAによる政治工作の実例。

しかし、「先進国」で国家規模が大きく外形的には一応「民主主義体制」 (内実は「権威主義国家」そのものだが) をとる日本のような国で、乱暴な政治的・軍事的クーデターを起こす事は難しいし、失敗した時の代償も大きい。

しかし、米国としては、1980年代、ソ連に代わって米国の経済的覇権を脅かすほどの力をつけて来た日本の経済力は何としても早期に潰しておきたい。

日本の産業経済構造を分析して、強い国際的競争力の源泉になっているのが新自由主義経済体制とは全く異質な「戦時経済体制」(所謂「1940年体制」)と「日本的経営」である事に気付いた米国は、この二つを日本経済から除去する事を計画する。

1986年、まず前川春雄日銀総裁に「前川リポート」を出させて下地作りと「新自由主義経済」への誘導を行った。次に、1980年代後半、日銀を使って「バブルの急激な生成と崩壊」という経済的大災害を引き起こさせた。

それは、「戦時経済体制」と「日本的経営」に対する日本人の自信と信頼を喪失させるための「ショック療法」だった。経済がうまくいっている間は、誰もその体制や構造を変えようとは思わないからだ。

太平洋戦争で二度と米国の軍事的脅威とならないように日本の軍国主義を叩き潰したように、米国の経済覇権を脅かすほど絶好調だった日本経済を「バブルの生成と崩壊」というショック療法によって一気に叩き潰したのだ。

米国が裏で糸を引き、日銀を主犯、大蔵省の「総量規制」を従犯とするこの「経済的クーデター」はものの見事に成功。日銀が意図的に引き起こしたその後の長引く不況ですっかり自信を喪失した日本は、自国の強さの源だった「戦時経済体制」と「日本的経営」をあっさり捨て去り、進んで「新自由主義経済体制」の国へと構造転換する道を選んだ。

「バブル崩壊」後、毎年、米国は内政干渉同然の「年次改革要望書」を日本政府に突き付け、各分野における新自由主義構造改革の早急な実施を迫った。その後の自民党政権は、産業経済面だけでなく、政治、商業、法律、軍事、その他あらゆる分野で米国側の多岐に渡る新自由主義的改革要求をほぼ丸呑みした。

公共部門の廃止や解体、米国型商習慣や企業統治の導入、金融ビッグバン、郵政民営化、労働者派遣法「改正」による非正規労働解禁、TPP参加、安保関連法、国民健康保険や介護保険の改悪、原発推進と再稼働、日米FTA締結などはそのほんの一部。

その後も、日本経済が立ち直らないように日銀と政府は金融引き締めと緊縮財政政策という意図的デフレ政策を継続。民主党政権下の一時期を除き日本経済は順調に衰退し続けた。経済が少しでも立ち直りかけると、その度に消費税増税をを行って再起の芽を潰した。

日本経済が再起できない事を見届けた後、日銀は金融緩和に転じたが、その頃には金融緩和のメリットはほとんどなくなっており、かえって円安による副作用の方が遥かに大きくなっていた。

自民党による長期の「各種内需減少政策」により全く経済成長せずどん底状態に陥っていた日本経済に最終的な引導を渡したのが、通算10年間に及ぶ安部・菅政権の「アベノミクス」であり、とうとう日本はどこまでも際限なく衰退し続ける腐敗した三流後進国に落ちぶれてしまった。

これらの売国政策による「経済敗戦」の結果が、今日まで延々と続く悲惨な「失われた30年」だったという事だ。

日本がアジア最貧国となり、労働者が日本より給料のよいアジア諸国に出稼ぎに行く日はもうすぐそこまで来ている。

詳細については、こちら。

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